マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

まともなメール

 

 まともなメールの文面が書けるようになったのはいつごろだったろう。最近、有名コピーライターが「大学生が名前も要件も書かずに作文を送ってきてキレた」みたいなことを書いて話題になっていたが、僕も大学生の頃はメールが書けなかった。お作法を知らなかった。

 お作法を知ることは大事だが、教えてくれる人がいないとお作法は分からない。”まともなメールの文面”は、要するに我々が社会的に共有しているプロトコルだからだ。社会に出たばかりの大学生や新社会人はそれを共有していないのは当たり前。だから年長者がマニュアルやテンプレートを作って教えてあげる必要がある。何度かメールのやり取りをすれば、どういうルールで書くのかが分かるはずだ。

 僕がメールを書けるようになったのも、おそらく社会人になってから数年後、いやはっきりと ”まともなものが書けるようになった” と自覚したのは2年前だ。ディレクターとして様々な人とやり取りを毎日のようにするようになってからだ。それまでは破茶滅茶なテキストをしたためて、それを得意先の担当者に送っていた。

 そういえば、先日結婚し、そのときのお礼状を目上の方に送る必要を迫られているのだが、その文面もまた、メールとは違うので困っている。敬具とか時候の挨拶やら耳慣れない書き慣れないお作法に僕はうんざりしている。そして、手書きでなければならない。くぅー。つらい。きっと大学生の時もそんな感じでメールを書いていたんだろうな。できることが増えたからといって、できない人たちに対して横柄な態度や上から目線で接することはしたくない。なるべくならマニュアルを整え、テンプレートを用意するような大人になっていたいものだ。