マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

無題

 

あー、ええと。短めの日記をば。毎日書くように努めているのだけれど、なかなか1,000文字書くのですら億劫になってしまいがちでして。それなら140文字を超えればそれはブログに投稿してよし、というルールの下、こんな風に口語体にしてます。油絵の具にメディウムを塗り込んでかさ増しするかの如く、ブログ書いてます。

 

多摩美術大学の統合デザイン学科の卒業制作展に行ってきた。個人的には教授陣が豪華で誕生当初からどういうアウトプットをしてくるのか、気にはなっていた。かつ学科第一期生の卒展ということで珠玉の作品が出てくるのか、はたまた普通の美大生の作品と変わらないものが出てくるのか期待をして行ってみた。

 

自分はデザイナーでもないし、一観客という安全でズルくて責任感の無い立場から投げかけてしまうので、申し訳ない。なので、なんとなく思ったことを箇条書きにしようと思う。タイトルを無題にしたのも、現場の人に気付かれないで欲しいというずる賢い逃げからである。

 

・どこの美大もだいたい同じ匂いがする。雰囲気という意味ではなく、物理的な匂いがだいたい同じ。

・自分でお金を使っていない、お金を受け取っていない、また社会に出ていないデザインというのは説得力が弱い。リアリティを出すためのお金の使い方は、きっとある。が、それを学生に求めるのも酷な気がしても、いる。

Twitterや各種SNSで自分の卒制を掲載した人の作品は、正直インパクトが薄い。特に映像関係。Twitter上では面白いなと思ったけど、現場で行ってもほぼ同質のものだけが伝わるため、もったいない。それ以上のものを与えられたのはやはり物体。同じ次元内の情報を与えるのならば、じゃあコレがどうなるでしょうという問いかけにしないとめちゃくちゃもったいない。もしくは、現場で行くと実はクソデカいとか。つまり次元を越えた驚きなのだが。

・映像において、やはり音が大事。音に気を配るだけで良くなる作品がほとんどだろうと再確認した。一日中そこにいて連続で聞いて狂わないとか問題はあるけど。

・地図がデカすぎる上に、受付が記されてなくて見づらかった。学校を知らない人が来るのだから、そこは初めにデザインしてほしかった。

・3号館でやっていた3人の学生たちはかなりレベルが高いことをやっているな、3人であの広い空間を余すところなく使っていて、観客のことを考えた作りになっていて、卒業してからが非常に楽しみだ。

上野毛二子玉川の隣だから、オシャレな場所だと思っていたけど、都心の郊外という感覚を得た。

・家に帰ってから反芻した結果、駅から大学への道のりで、中に何もない部屋のガラスでできた引き戸に「←注」ってマスキングテープで作ってあったもの、あれが一番引っかかったメディアアートだったのは自分でも驚いた。初めての地というバイアスが掛かりすぎたかもしれない。

 

結局、統合デザインとはなんだったのか、逆に分からなくなってきた感じではある。これまでの様々な情報を元に「統合デザインって、こういうことやってるんだろうな」という妄想をしていたのだけれど、卒制を見た結果、また頭の中で拗れてしまった。誰かしらアウトサイダーが発生してしまう美大四年間で、そこを規定する必要はないが。

卒業制作が「良い/悪い」「好き/嫌い」「クオリティが高い/低い」みたいな部分は、結局のところ個々人に依存しているので、この学科だったからどうだったみたいなことは決してないのでしょう。ただ、来年にも期待できる学科かもなーというものは見せてもらったと思うので、来年も行けたら行きたい。

意外とたくさん書いたな。