マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

最近感じた “言葉” 関係のこと

 

普段は一緒に仕事をすることは絶対にない同僚と、こないだランチを食べたときに気づいた。

汚い言葉を使われると、自分の中の語彙センサーが反応し「あっ、こいつヤベーやつだ」と判断してしまうことに。つまり自分も周りからそう思われている可能性が高い。特に初対面の場合、そう思われる確率は「コーラを飲んだらゲップが出る」くらい高い。ああ、また汚い言葉を使ってしまったようだ。

なるべく自分の口から出る言葉を、浄化フィルターを通した言葉にしたいのだが、文字ベースでない場合は推敲する時間が0秒に限りなく近いためになかなか難しいので、少なくともメールやツイートなどではキレイに浄化した言葉遣いでやっていきたい。

 

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“サービスデザイン” の説明をするときに “サービス”と“デザイン” の言葉を極力使わないというようなある種の優しさがないといけない。言葉の定義が互いに食い違う場合、必ず僕とあなたが今見ているもの以外の場所から言葉を取ってこなければならない。時間的にも空間的にも制約を無視して、言葉をあらゆるところから引っ張って相手に伝える義務がある。それは僕ら人間が言葉を発して、コミュニケーションを取れるようになった、我々が猿の時代からの課せられた義務だ。

 

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「高度デザイン人材」を育てることを経済産業省が推進している。

そのようだが、例えば「高度」がいるなら「低度」がいるのか、私は「低度」なのか、「低度」ではいけないのかなどの他人との比較でできあがる言葉は気をつけなければいけない。

 

そういえば、過去に似たような問題を話し合った経験がある。

「異性・同性愛」を表す言葉を使用するときに何を使用するのかというお話だ。

「normal」は正常ではないことが異常なのかを暗に示し、「Straight」はTwistedであることが、人を愛すことは誰しもが真っ直ぐではないのかなど、そういう意味を示す、暗に示してしまう。

それらを比較なき言葉として、おそらく誤解なく使えるのはheterosexualとbisexualとかだと思うが、単語としての成り立ちが自立しているかどうかは意識しないとあらぬ誤解を生んでしまうことがある。

 

僕も気をつけなければと日々思っている。

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