マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20200519

基本的に土日はやらなくてもいい、毎日書かなくてもいいとは考えていたが、それにしても日記を書く頻度が落ちている。それは毎日が充実しているからでもなく、正反対に毎日に何もないわけでもなく、ただただ自分の怠惰な面や快楽主義的な一面が勝っているだけのことだ。

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最近読んだ記事、有名エンジニアの方がソーシャルディスタンスのためにTwitterのアカウント名にスペースを入れるのをやめろ( https://gist.github.com/mala/08fdbc680d84bb1b2305688282f26cea )と言ったり、元ナタリーの編集長が某編集者の関わる著作を読まない方がいいがその理由は優勝劣敗がテーマとして根底に流れているからだ( https://togetter.com/li/1512388 )と言ったりといった話題だ。

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これらは共通項があると感じている。それは「意識外の人をどう意識するか」に通ずる。自分の意識外の人を意識する方法は自分単独では不可能だ。字面通り、意識の外なのだから意識しようとしても選択肢の中に出てこない。ならば、やはり自分以外の人を招くしかない。その人でも漏れなく・ダブりなくできないのであれば、別の人、さらに別の人と輪を広げていく。おそらくこれは多様性自体じゃなく多様性を認める動きなんだろう。多様性がある状況というのは、多様なバックグラウンドを持つ人がいるわけではなく、多様性があるからそれを認めて広い視野で意識外のものを無くしていこうという意識があることだろう。それがあるモノやサービスは受け入れられる土壌ができる。