マレーグマの頭のなか

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記憶と画質

TwitterのニュースレターことRevueがイーロン・マスクの余波を受けて閉鎖するということで、ブログに書いてない記事をここに移す。久々の更新がこれなのは良くないけど、まぁいいだろう。今年も宜しく。

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映像の荒さすらも記憶そのものを示している。

僕はいま、調布に住んでいる。上京して初めて住んだ場所も調布だ。具体的には西調布駅の側の下石原という地区に住んでいた。2007年から四年間、電気通信大学という地名がついていない唯一の国立大学に通って、情報通信工学を勉強していた。

少し脚を伸ばせば畑や果樹が植わっている東京にしては田舎のそこは、広島の山の中から出てきた僕からしてみればちょうどいい環境だった。新宿から特急で15分でこんな気持ちが落ち着ける場所もあるもんだと18歳の僕は驚いた。

現在の調布駅付近

今では調布駅は地下化して、大きな広場ができていて、信じられないくらいに綺麗になっている。都市計画は安藤忠雄らしい。家電量販店もシネコンだってある。いつのまにか調布だけで暮らしていけるほど揃っていた。PARCOは未だに地下に八百屋や魚屋があったりと田舎臭さ満載(またそれがいい)なのだが、新宿から特急で15分で田舎についてしまう驚きはなくなってしまった。東京の恐ろしさは地続きで都会が続いていることだと思っているが、調布にも少しだけその根が伸びてきた。

そういえば、僕が初めて上京して、見たことのないPASMOというピンク色した交通系ICカードを窓口で購入したとき、調布駅は南北で分断されていて薄暗い地下通路を通らなければ縦断できなかった。南口の線路沿いはタクシーが何台も停まっていて暗い雰囲気が漂っていた。ちなみにPASMOが便利だったことは言うまでもない。

2000年中盤頃の調布駅 引用:http://ktymtskz.my.coocan.jp/f1/cyofu.htm

2000年中盤頃の調布駅 引用:http://ktymtskz.my.coocan.jp/f1/cyofu.htm

先日ふと、自分が大学に通っていた頃の調布付近の画像・映像を見たくなってGoogleで検索していると、地下から高架へ変わったあたりの駅が映った2008年の動画がYouTubeに存在した。

www.youtube.com

線路が地上に存在し、細く狭い道しかなかった。鳥を飼おうか悩んだ工藤優鳥園、明らかに高さが足りない黄色い中華料理屋。もう全て再開発でなくなってしまった。

まだiPhoneが普及していないので、きっとガラケーで撮られたその映像は、僕が知っている調布の映像だった。HD以下のその画質ですら、その当時の僕の記憶そのもののように感じられる。記憶をたどると、すでにあの頃は荒い画質で保存されていて、逆に荒い画質だからこそあの頃なんだと思わせられる。

大学卒業直前に盗まれた黄色いミニベロに乗って駆け回っていた調布は既に10年以上前の荒い映像の中にしか存在しない。今住んでいる地域だって、10年前は僕の知っているそこではないだろう。毎日の散歩で通っている道をきちんと今の画質で映像に収めることで、子供の成長と共に街の成長を楽しもうと思った。未来にはもっとリアルでそのままな画質の映像が見られるかもしれない。そう思うとテクノロジーの成長も楽しみである。