マレーグマの頭のなか

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梅雨

 

 梅雨が嫌いかどうか聞かれた。正確には「梅雨、どう思ってます?」だったが。

 いつだったか、ここ数週間以内、いや雨が頻繁に降り始めてからだからもっと最近だろう。誰に聞かれたのかも覚えてない。ひょっとしたら夢の中の出来事かも知れない。でも、この質問をされたことは妙に覚えている。

 だって梅雨がどうかなんて、嫌いって言ってほしいんだろうなって思うじゃない。でも実際自分が真剣に考えたときの結論は興味があった。

 これを聞かれたとき、真っ先には答えられなかった。何故なら、そんなことを考えたことがなかったから。自分の能力でなんとかできないものに対して「嫌い」と言っていたら、人生に辛くなるものが増えるだけだ。四季のうち、好きな果物が多いので秋が好きだが、寒い冬は苦手だ。ただ、嫌いじゃない。日本に住んでいる限り避けられるものではないからだ。もしも僕が寒いのが苦手な大金持ちだったら、20℃を割り込む季節は冬のない地域や南半球に行くことで回避したかもしれない。だから、「ちょっとまって」と声を掛けてまず梅雨に対してどう思っているのかを考えた。

 今年で29回目の梅雨を振り返ると、強く思い返される光景がある。僕が小学2年生くらいだろうか、通学のとき、多分帰りかな、学校から家路に着く途中の長い階段を登った先、西と東に分かれる路で、ザアザア降りの雨に楽しくずぶ濡れで帰っている光景だ。出来て当時は10年で大して整備もされてなかった団地なので、コンクリートで固められた地面の通学路には、そこら中に水たまりがあった。傘を乱暴に扱っていたので(が、その自覚はない)、親に頻繁に真っ黄色で、骨の先に大げさに丸い突起が付いている傘を何本も買ってもらった。その光景で差している傘は小さい直径の真っ黄色。そういえば東京では夏場にゲリラ豪雨なんて言われるけど、地元では梅雨時にゲリラ豪雨みたく降ることがあった。山を切り開いた団地に張り巡らされた溝、それがビーバーの巣のように葉っぱや木の枝で塞がって、道路に水が溢れかえっていた。わざとその水の中に長靴を履いた足を突っ込んだりしていた。

 そんな風に思い出していたら、やっぱり梅雨のことは好きだったんじゃないかと結論づけた。晴れや曇りのなんてことない日より、大雨の薄暗く遊べない日や台風で停電してしまうような、いつもできることができない非日常感が好きだったんだろう。そう伝えると「嫌いと答えなかったのはふじいさんくらいですよ、珍しいですね」と返ってきた。僕は好きだったけど、多分びしゃびしゃの状態で帰ってくる僕を迎える母は毎日勘弁してくれなんて思っただろうな。