マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20200217

先に宣言しておくが、いつも通りオチや道筋を考えずに書いている。

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小さい頃はゲームの説明書や攻略本を何度も何度も何度も読んでいた。それは誰しもがそうだったんじゃないか、同じ経験をしているのではないかと確信している。いつから延々と読まなくなったのか、振り返ってみると、ゲームに執着がなくなったタイミングに行き着く。部活動が始まっただとか、塾が始まったとか、ゲームよりも面白いことを見つけたときだ。子どもは基本的に暇な生き物で、何かをし続けない限りは寝ている。攻略本を読んでも物語は進まないけど、時間は進めることができる。そして、主人公を動かすよりもその物語に没頭することができる(と信じていた)。攻略本は暇を埋めるための最高のアイテムだった。

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ゲームついでに思い返すと、自分はあまり裏面と呼ばれるものに固執しない。ゲームクリアのカタルシスを得たあと、燃え尽き症候群にでもなっているのか分からないが、とんとゲームへの情熱が失われてしまうのだ。多分ここが自分がRPGしかできない理由の一つで、誰かが書いたシナリオに乗せられることが一番快感なのだ。自分を高めることに興味が湧かない。格ゲーやシューティング、アクションにそこまで食指が動かない。シナリオの薄いRPGの中では確かにゼルダBotWは楽しかったが、道中で全てを収集することは難しい。そういう意味では進めても進めても収集癖があるとやり残したことがないかとか、行ってないところはないかとかが発生してしまう。ある程度の進捗で妥協して別のイベントをし、シナリオを進める。そして、全部が終わったら、それで終わり。

ぼんやりした過去

 過去に、良心のあるマトモな大人からいただいた叱責のメールを、久しぶりに読んでいる。たまたま別のメールを検索しようと、「覚悟」と打ったところまさか自分が封印していた過去を掘り起こしてしまうとは。せっかく掘り返してトラウマも克服したのだから、これから先、このテキストは定期的に読み返していこうと思う。

 まともに読んだのはきっと、もらったその日だけだから、10年とかそれくらいぶりに目にしただろう。内容は僕を叱責するもの。それを公開するのは恥ずかしいし、書いていただいた相手に対しても申し訳ないので世に出すことはしない(”叱責” という言葉は「失策や怠慢などを叱り咎めること」なんですね。本当にこのメールの内容を表すのにピッタリな表現だ)。これを読んだとき、中学以来だろうか、恥ずかしさと自分の情けなさゆえ、顔に血が昇って心臓の鼓動が聞こえてきて、全身に重く負荷がかかったのをよく覚えている。また、今後どうしようという未来への不安を一人になってから初めて感じた。

 当時はこれを読んだ後、怒りなのか悲しみなのか分からない感情が自分の中にずっと滞留して二度とこのメールは見ないとまで思っていた。ただ、ここに書かれていることは全てが正しかったし、反論の余地もなく、お前はダメな側の人間なので申し訳ないが仲間に入れることはできないという趣旨の言葉はきちんと理解して受け取ることができた。

 今あらためて読んでみて、やっぱりまともな大人っているもんなんだなと思った。22歳のころの僕はその人のことも、僕がやりたいことも、僕がやりたいことをやれている人も、それを形作った社会も、そして僕自身のことも何にも知らなかった。10年後の自分が読んで、このメールの真の意味をようやく理解できた。22歳の若者の倍生きている彼が言葉そのもので傷つけることなく、きちんと返してくれたことに本当に感謝したい。

何もない日は何もしない日

 休みの日の何もない日、そこで何もしない選択肢を取ってしまうことを毎度後悔しているが、直る気がしない。いや、正確には寝たり、インターネットでどうでもいい情報を得たり、NetflixAmazon Primeビデオなどで動画を見たり、ゲームをしたりなのだが、何もしていないと言っても差し支えないだろう。

 いつからそんな感じの過ごし方を覚えたのか、選択するようになったのか。

 遡ると、大学生で一人暮らしのときに家でやれることを選び続けた結果だろう。何故か、それは、お金がなかったからだと思っている。23区内に出るには自転車では遠く、電車で脱出するにも往復500円ほどかかるようなところにいた。バイトはしていたが、バイト自体そこまで好きじゃなかった。何にお金を使っていたというわけでもなく、月々15万にも満たない収入で暮らしていた。彼女はいたが、電車とバスで一時間掛けて行くようなところに住んでいたので、毎週土日に会うか会わないかくらいの頻度だった。会うことがメンドイなとも思っていた。

 元々ずぼらな人間だったんだろう。もっと小さい頃も思い出せば、土日に家族と以外で家を出ることはあまりなかったんじゃないだろうか。既にあまり覚えていないが。

 そういえば、当時カメラが好きだったとき、何もない日は知らない駅に行き、そこから適当に歩きながら町並みにシャッターを切っていた。それがあるキッカケを後にカメラを置くようになってから、本当にやることがなくなってしまった。犬を飼い始めてからリビングで落ち着くことができなくなって、リラックスしたいときは自然とベッドルームに行くようになってしまった。子供が出来てからのことが心配になるな。

抱負 2020

 ちょうど仕事の谷間なので、この年始のタイミングで今年の抱負でも考えよう。

 去年の抱負はなんだっただろうか、ブログを見返しても、Twitterを振り返っても特に書いていない。転職一年目だったので、周囲からの信頼を固くするというのは心に秘めながら仕事をしていた。それはほぼ達成されたと言っても大丈夫だろう。生活については、特に決めていなかったが、妻と大きな喧嘩もすることなく、犬と共に無事平穏と暮らすことができたように思える。

 では今年はどうするのか、実は年初からずーっと考えている。考えているが、なかなか結論付けられていない。新しいことを始めるのか、それとも今までに学んだことをブラッシュアップするのか、どちらの道を選ぶか。ただ後者のなまくら刀を研いだところで何か意味があるのだろうかと自問自答すると「あんまり意味ないんじゃないか?なまくら刀を研いだところで質屋に持っていっても100円が150円になるくらいの、鈍い顔になるだけじゃないか」と返ってくる。

 新しい飛び道具を得ることが面白そうだな。手裏剣、ピストル、投擲武器なら何でもアリだ。できれば自分の仕事の端に掛かるくらいで少し領域を広げられるような技術が身につけられたらいいのだけれど。一つ新しい技術を身に付けることを目標にしたい。マスターするのは難しいから、それを使って仕事の何かしらを楽にできたり、新しい仕事を得られたりしたらいいな。それすらも贅沢な願いだろうか。

20200106

新宿駅の陸橋で首吊り自殺が行われたようだ。Twitterで流れてきた情報、画像も見てないし現場にも行ってないので伝聞でしかない。若い男の人だという。僕とあまり変わらない年齢なんだろうか、あまりにも残念だ。毎朝あの陸橋の辺りを通勤のため、歩いている。今朝も10時過ぎにあの辺を歩いた。その数時間後に人だかりができるとは全く思えない。いつもと変わらない光景だったように思う。どんな人かは分からない。ひょっとすると、歩いているときにその人とすれ違っているかもしれない。もしかしたら、僕が何かをしてしまったかもしれない。僕が何をしたかは知覚できないが、自分がトリガーになっているかもしれない。目的を持って行った行為とは別に、意図の外に起こっていることがある。僕が右に行ったことが原因で立ち止まった人、左に体を向けた人。それらは僕の意の外にあるが、僕の行為によって引き起こされた。人が生きるだけのことでこれを自覚するのはつらすぎる。ただ、できる限り周りを知覚して生きることで、自分が一人で生きていないことは覚えていたい。