マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

 

毎年この時期になると悩んでいるような気がして、一体どうだろうと昔のブログを読み返してみたけど思ったより悩んでなかった。この印象が強いのは多分4年前に転職活動をする前の、会社を辞める決意をしたあたりの苦しさ故だと思う。あの頃のせいで、胃の弱さを未だに引きずっている。

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このブログはストーリーテリングなんてことをやっていない。読めば分かるが。仕事で似たことを推進しているからだろう。何度も書いているが、このブログは未来の自分への手紙であり、記憶を呼び起こすためのトリガーである。今の時代の人だときっとInstagramとかで写真に残すのが普通なんだろうが、僕は視覚情報ではそのとき気持ちを思い起こすことができない。誇張された感情が浮き上がってくる。これらの文章だって多少は誇張してしまっているけれどね。

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禅についての漫画を読んだ。禅において、文字や言葉というのはそれそのものでしかなく、それ以上の意味を持たない。師が言っていたことを他人に言うことはただのオウム返しでしかなく、実際に自分の五感を使って体得しなければ全く無意味である。なんでもそうだな。一番驚いた金言は「生から死へ至る距離が時間」という言葉だった。

無題

 

 今日はなんだか仕事に身が入らない。きっとこの謎のソワソワした気持ち、今までの自分と照らし合わせると今週いっぱい続くだろう。とはいえ、気張る必要がないほどの仕事量なので少しずつタスクを消化して今週はやり過ごそうかと思う。

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 いつのまにかひどく汚くなっていた枕カバーと敷布団カバーを変えた。真っ白のカバー、寝てるときに無意識に垂れてくる唾液の汚れが目立ちやすいものから、使い古した畳のような色のカバーに変えた。それだけなのに、なぜか今日はグッスリと寝られた。

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 中学生だったか、おおよそそのくらいの時期に歩き方を意識するようになった。なぜだかガニ股で歩く友人がいたく気になってしまった。歩き方なんというものは誰から教えられることもなく、自然と覚えるものだと思う。気になってしまったら仕方ないので、真っ直ぐ歩くことにした。ファッションショーのように交差させるまではいかないまでも、真っ直ぐ一本のライン上に足を置くようにした。だから何が変わったわけじゃないけど、それ以来その歩き方をしている。

 そして最近気付いた。歩き方のせいなのか分からないが、僕は周りの人間と比べると歩くのが遅い。通勤の駅までの道のりで男女問わず抜かされてしまう。時間的な余裕があるからというのも理由の一つかもしれないが、それにしても抜かされる。そこで歩き方を、足を前に出す方式で少し歩いてみると、なんとも早い気がする。足の回転数がいつもより多い気がする。余談だが、弱虫ペダルを初めて読んだときに回転数にケイデンスとルビが振ってあり、固い押韻だと関心した記憶がある。そうそう回転数が多い。あと地面を蹴りやすいからなんかグイグイと前に進んでいる気がする。まぁだからといって歩き方を今更変えることはしないが、今までやってきたことを捨ててみることも面白い発見があっていいなぁと、40℃を超える暑くてしんどい日に思った。

大人になること

 「ふしぎの海のナディア」を最初から見返している。実は全部通しで見るのは初めてかも知れない。NHKで再放送していたのを、小さい頃に飛び飛びで見ていただけだから。昨日は話の折返しである17話「ジャンの新発明」を見て、不覚にも泣いてしまった。

 

 あんまりしたことないが、簡単なあらすじを書いておく。この回の一つ前の16話で、主人公の一人の男の子ジャンは生きるための目標を失ってしまった。1話からずっと「船乗りだった行方不明の父親を探すこと」が目標だと言っていた。彼が船や飛行機など様々な発明品を作るのは、単に作りたいからではなく、世界中を回って父親を探すためだった。そんな父親がこの世から既に去ってしまっていたことが分かったジャンは次の目標を探していた。

 一方でもう一つのテーマが浮き上がる。それは「子供から大人になること」だ。ジャンは自分が子供であるからできないこと、させてもらえないことが手に余るほどあることに気付く。ノーチラス号の正式な乗組員になって、父親の仇を討つ。ネモ船長に「手を汚すのは我々だけで十分だ」とはねのけられる。早く大人になりたいと焦るジャンが、周りの大人の手助けもあって少しずつ自分のすべきことを理解していく。

 結局、ジャンはナディアのために空を飛ぶ機械としてヘリコプターを作る。そしてプロボーズにも似たセリフと共に、新しい目標をナディアに告げるのだった。

 

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 アニメや小説なんかは自分が今どんな立場にいるかで誰の立ち位置と重ね合わせて読み取るかが変わってくる。ポジショントークならぬポジションリードだろうか。昨日の0083でも同じで、最近は僕がマネジメントやってたりするからか、それぞれが集団の目標に向かわず、自分のやりたいことをやっていたキャラクターに対して苛立ちを覚えていた。

 20年以上前に見ていた僕は当たり前のように主人公であるナディアたちに自己を投影していただろう。今は周りの大人たちに自己を投影していると、思う。今回のナディアの大人たちは復讐をするために人殺しを厭わない集団の中に、子供たちがいるという構造をしている。その中で大人たちは子どもたちが間違った道に進まないように進めている。大人の仕事、子供の仕事、それぞれのやらなければいけないこと、やるべきことは違うことを視聴者に語りかけている。

 

 今回は印象深いセリフが多い。

ジャン「子供じゃ夢は叶えられない…ただ追いかけてるだけだ」

ランディス「おとなに勝てるのはおとなだけだからさ」

サンソン「自分のことは自分でけりをつけるもんさ」「自分に何が出来て、何が出来ないのか分かるようになりゃ、一人前だな」

ハンソン「子供は素直に、大人を頼ればいいんだ。それが大人の仕事だからな」

 

 そして、この回のクライマックス、完成したヘリコプターで空にナディアと二人きりになったときのジャンのセリフがトリガーだった。

ジャン「ねぇナディア、やっと分かったよ。(何が?)今までの僕とこれからの僕さ。僕はこの船に乗って勉強を続けるんだ。科学だけじゃない。世の中や大人の世界も勉強する。今は空を飛ぶだけだ。それじゃ君をアフリカには連れていけない。でも、君を守ることができる大人になったら、必ず連れてってあげるからね!」

ナディア「うん、待ってる!」

これを言い切った瞬間にこみ上げるものがあり、めためたに泣いてしまった。ブルーウォーターのアコースティックなBGMと共に耳に入ってくるこのセリフから、ジャンのとても静かな成長が感じられた。

 

 他にも上記のセリフを調べていると、庵野監督の語りが出てきた。

 「『どうしておとなになるの?』とナディアが聞いたところで、グランディスに『おとなに勝てるのはおとなだけだから』っていわせて茶化してます。そういう答えってこちらでだせるものではないですからね。見ている人にも分かる時がくるから、その時に分かればいい」*1

  当時見ていた僕は意味もわからずこのシンプルで複雑な疑問を胸に留めていられただろうか。これを今見ている僕は30歳のおじさんになってしまって、やっと分かり始めた。ナディアが名作と呼ばれるのは制作陣が豪華なわけではなく、そこにある人間の成長が美しいからだ。

 

 今日の2時に姉の子どもが生まれた。おめでとう。僕もノーチラス号にいるような子どもを導ける大人たちになれたら。

 

*1:ぼくらは「ナディア」から、女の子との付き合い方を学んだのだ :https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20120405/E1333574035332.html?_p=3

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYを見た。

 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY(以下0083)を見た。おそらく人生で3度目の視聴。僕は0083が好きだ。それは画が最初から最後まできれいに作られているからだ。ガンダム史上でもトップクラスのモビルスーツ/モビルアーマーデザインに加え、戦闘シーンは最高に丁寧に作られている。さすがOVA全盛期に出てきたアニメといったところ。しかし、キャラクターは本当にクソだと思う。数年振りに見て、フラストレーションを溜めながら「なんなんやこいつらは」と思った。

 

 なんとなく気になるキャラクターを振り返りたい。

 

 主人公のコウ・ウラキは軍人としてとても未熟で、命令違反や脱走(本人は気付いていない)をするなど明らかに軍人に向いていない。しかも、更に今で言うコミュ障とでも言うのだろうか、物事に集中すると他が見えなくなるような、実際にいたら面倒なタイプ。しかし、そこは上官であるバニング大尉がうまくコントロールしつつ、最終的に成長していく様が見えるのでそこはよい。主人公は最初から完璧より、未成熟な状態から徐々にまともな人間になって、そこからの何か掴むのがお話だから。でも最終話ではまともというよりも復讐に狂った若者に見えたが…。

 

 主人公の親友のキース、彼はかわいそうなほどに空気。成長は全く見られない。ただ、あの戦争を生き残っただけでやべぇやつなのは間違いない。最終話でコウを迎えにきたのが他でもないキースで良かったよ。唯一の清涼剤。

 

 コウの上官のバニング大尉、多分お話の中で唯一のまともな人物。厳しくも当たり前のことを周りに説教する。だが、家庭では妻と別居しているなど、完璧でまともな人間などこの世にはいないという示唆なんだろうか。39歳にしては顔がシワシワなのはオーストラリア大陸の紫外線の影響か。彼といえば死に様が許せない。悲しくもならないし、伏線にもならない。ただただ演出として死んだ。でも何を演出したのかは分からない。

 

 一応ヒロインのニナ・パープルトンアナハイム社のシステムエンジニアでGP01と02のお守りをしている。彼女は言わずもがなガンダム三大悪女として有名だが、途中で監督がバトンタッチしたために、後付設定でこう言われるのは可哀想だと個人的には思っている。とはいえ、やっぱりこいつも「私のガンダムゥゥゥ!!!」というセリフから分かるように人格はおかしいが、コウに対する恋心と自分の思った通りに上手くいかないときの態度はそこらへんにいる女性となんら変わらないと思う。しかし、90年頃のアニメなのに、アナハイム社のシステムエンジニアがほとんど女性で、アルビオンのメカニックも女性というかなり先進的な配役に見える。むしろ男は戦争に行ってしまうので、そこらへんのバックアップは女性が行うという形はむしろ理想か。あと佐久間レイの声が好き。

 

 同じ隊の上官のモンシア中尉、こいつのせいで前半はキツい。こいつのパワハラや部下を貶めようというやり口が腹立って仕方がなかった。先日の自衛隊内でのイジメ問題もあったが、これが軍隊ってもんなんだろうか。悪い仲間が主人公を認めて良い仲間になるような素振りもなく、ずっとコウとギクシャクしながら進んでいく。そして後半から終盤にかけて出番がなくなりいつの間にか消えていく…。ならそこまで悪いやつにしなくても良かったのでは?こいつの胸糞悪い感じがずっとモヤっとしていた。

 

 シーマ・ガラハウ、この人がいなければ最終的に誰が敵で誰が味方なのか整理のつかない戦闘になることはなかったかもしれない。結局自分の利益を最大化するために動いていた、それだけはずっと変わらない。見た目はホワイトタイガーの剥製と鉄扇みたいな扇子という悪趣味なイメージが強い。35歳にしてはなんかほうれい線が気になるけど、ファンが多いのは私服姿が色気あるからだろう。搭乗機のガーベラ・テトラはかっこいいんだから、もうちょっと活躍するシーンがあっても良かったと思うの。

 

 ライバルのガトー、昔見たときは圧倒的にカッコいいイメージだった。しかし、今回見返すとジオンの操り人形にしか見えなかった。ある目的に対してひたすらに突き進む姿勢というのは生き方として間違っていないと思うが、その目的自体を怪しむことができなかったのか。いや、それができないことが戦争なんだろう。最初は主人公を圧倒する強さを感じさせるものの、ニュータイプでもなんでもないコウが段々と強くなってしまいエースパイロットとは何かを考えさせられる。むしろモビルスーツの性能差のせいなのでは。強さが機体勝負になった末、精神力がぶれてない方が物語的に勝ってしまう。

 

 おおよそのキャラクターは自分がやりたいことをやる、自分を信じている正義によって行動している。最終的には主人公は目的が軍に従うことからガトーへの復讐にすり替わり、ヒロインのニナ・パープルトンは昔の男か今現在誑かしている男かを天秤をかけて自分に利益のある方を選ぶ。ガトーだけが上官の未来図を信じた行動を徹頭徹尾起こしている。最初からぶれていない。だからファンが多いのか。でも、ガトーは人情に厚くて、エースパイロットで、本当は悪いやつじゃない感を演出によって醸しすぎてる感じがあった。そのせいで最終的にガトーは悪くない!悪いのはコウを裏切ったニナ!あいつがクソ!視聴者全員の敵を作って終わり!みたいなひん曲がった結論が出てくるんかな。

 

 僕はそれでもモビルスーツ/モビルアーマーと美麗な作画を見るために、また数年後見ると思います。……0083は話がクソ!でも作画が最高だから100点です!

無題

 

 今日は何か書いてから帰ろうと思っている。既に定時から4分ほど時間が過ぎている。いつも定時ごろになれば、ソワソワしながら今自分がやるべきタスクを明日に回せるかどうかを確認している頃だ。

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 いつもどおり、特別書きたいことなどないのだが、捻り出す。昨夜、寝る前一時間の暇つぶしにちょうどいいものがないかとPS4のコントローラーを握りしめ、動画をNetflixで探していた。「プロフェッショナル仕事の流儀」がいくつか入っていることに気がついた。飛び飛びで10本ほどだった。とりあえず第一回は誰じゃい、ほう、星野リゾートの社長である星野佳路さんだった。

 今年の二月にちょうど星野リゾートの箱根に行った。施設の良さはもちろんのこと、従業員の方々の細かな気遣いがたくさん感じられたように思う。ああ、これが「星野リゾート」なのかと感動した。そんな素晴らしいサービスを提供している会社の社長はどんな人なんかなと思い、コントローラーの◯ボタンを押し、再生した。

 

 彼は星野リゾートを僕の一つ上の31歳で継ぎ、バブル崩壊の最中、自社の軽井沢のホテルを任される。トップダウンで行われる施策に対して従業員の3分の1がいなくなったりするも、どうにか立て直す。そして、今(2006年当時)新たに伊東のホテルの再建をしている最中だった…。というようなプロットだった。

 

 彼のすごいところは「自分で決めない」ところ。基本的に従業員の中で話し合わせて、お互いが共感する問題や解決策を出させ、それを自主的になるようにやらせる。うちの上司が口酸っぱくして言っている、ブランドのロイヤルティの最上位である「主体」になるように仕向けるということだ。自分たちが課題を出し、そしてその解決策も出す。コンセプトは社長から下ろすのではなく、社員が見つけたものをまとめるだけだ。そうすることで、従業員は共通の認識が芽生え、軸ができる。軸ができれば、施策がそれに対してどうなのか確認しながら行われるので、やることがぶれない。そして自分たちが決めたので、参加して決めたことはやらねばと、モチベーションが維持される。特に旅館やホテルで「おもてなし」するために必要なものは「マニュアル」ではなく「主体」であることがよくよく見えてくる。彼は「ホテルなどに勤めている、従業員は『誰かを喜ばせる』というところにモチベーションがあると、そう信じて、僕はやっている」というようなことを言っていたが、まさに「主体」にさせているのである。

 

 このやり方が彼が卒業したアメリカのホテル経営学で学んだのか、そうでないのかは分からない。ただ最初の頃は失敗してたから自分で編み出したんだろうか。最後の方はあまりにもうまく行き過ぎてて涙が少し出た。そして12時になったので、コントローラーのPSボタンを長押しし、電源を落とした。