マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20180827

 友人(以下、Nくん)が彼女にフラれたそうだ。僕と同い年なので三十路。そろそろ結婚できる女性を探さないとと重い腰を上げていた。そして、彼女から「もう少し高め合う関係になれる人がいいの」と言われてしまったらしい。

 

 彼女とはマッチングアプリで出会い、4ヶ月ほどで別れることになったらしい。Nくんは様々なマッチングアプリを試し、どのアプリにはどういう層がいて、どのような目的で使っているか、どのように使っているかを詳細にExcelで管理していた。その調査資料にはマッチングアプリだけでなく街コンのデータなども入っている。どんな女性に出会ったか、どのような話をしたか、はたまた同じ男性枠にはどんな人がいたか、自分との差別化ポイントはどこにあるかなど、まるでマーケティングリサーチ、自社サービスのPDCAを回すかのように自分の婚活をしていた。それをベースに出来た彼女が前述の彼女だったそうだ。すごいことをしているなと尊敬しつつ、自分には真似できないなと思っていた。別れて即やったことはマッチングアプリの再登録だったそうだ。2年間も恋愛に手を出さなかった自分とは大きな違いだ。

 

 婚活をすることだけでなく、仕事のように私生活を回すことをやったことがなかった。例えば大学受験も、ちゃんとスケジュールを引いて、いつまでに数学の微分積分がスラスラと解けるようになっていないと困るという目標設定はすべきだと思う。今振り返ると。ただ、やってこなかった。誰かが引いた時間割に従い、塾の時間割に合わせて勉強していれば、人並みにはできたから。就活もしたくないという理由だけで、まともな就活戦争はしてこなかった。スケジューリングやKPTを人生においてもやるべきだとは思う。

 が、なあなあで生きてきた自分にとっては時の流れや社会の流れに身を任せることで目的地にほど近いところまで行き着くことができた。恋愛もその通りでなあなあにしていた結果、情で繋がっていた関係が、切れた。でも、また良い人と出会うことができ、結婚までいくことになった。

 

 結婚という「ペラい紙を一枚、役所に届けるだけ」だと思っていた、だけど思っているよりも面倒な儀式に対して、何をしなくちゃいけないのかを整理しながら、スケジュールを引きながら、全員が納得できる答えを探りながら少しずつだけど進めている。みんなが生きる上でやってきたことを、齢30になった平成最後にやっとこさ重い腰を上げて、やっている。

 ちなみにNくんは東大卒の官僚なので、スーパーウルトラ優良物件なのにつまらない理由で振ったもんだなぁと。いやそれでもそれ以上の価値がその「高め合う関係」にあるのだろうと、今後出会うこともないだろうフッた彼女とNくんに良い人が見つかるように祈っている。