マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ミスチルを聞こう

Mr.Children の楽曲がSpotifyで聞けるようになった。これから改行もなくダラダラとMr.Childrenことミスチルとの人生における関わりを書いていこうと思う。多分読んでも僕以外盛り上がることはなかろう。おそらくミスチルとの出会いは姉が録音していた「深海」のカセットテープ。姉の手書きで丁寧に曲名が書かれていた。家に無かったが、サイのジャケットのアルバムだけはよく覚えている。少し怖かった。あ、そうそう10歳頃にモンスターファームで「マジン」のレアモンである「ガトリングブロー」を出すために「マシンガンをぶっ放せ」というCDを最寄りのレンタルCDショップで借りた記憶がある。ちなみにその時は返却を忘れていて親にこっぴどく叱られた。延滞料という概念を知った。それから数年経って、桜井さんが何か倒れてから復帰した曲「Any」を兄が借りてきた。何か内省的で少し悲しい曲と若い僕は感じていた。そのころにはMDが家にあったから多分僕は中学3年生だろう。SHARPの、メタルカラーに少しハイライトカラーとして赤が使われているMD再生機器だ。めちゃくちゃ気に入っていた。こっそり学校に持っていったりして、部活を終えて帰る下校の時間に音楽が溢れていた。数年後にiPod nanoに取って代わられるが、未だにその本体は家に飾ってある。高校に上がって、友人が持っているCDを借りたりしてBUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONを知った。MDで擦り切れるほど聞いた。高校二年生くらいだろうかMDから前述のiPod nanoを買った。正確には自分で金を出したわけではなく、多分誕生日に親から買ってもらった。白いイヤホンに憧れた。あの背面の鏡面仕上げに負けないほど目を輝かせていた。書きながら、購入した家電量販店から自宅へ帰るときのことを鮮明に思い出した。そうだ、暑かったからやっぱり誕生日だ。そういえば、確かにAppleは梱包や包装に気を使っていた。玉手箱を開けるときの浦島太郎の気持ち。父が運転する車の後部座席に座って、梱包を解いて、Appleの真っ白なシールを見て「どこに貼るねん」と突っ込んだ。iPod nano本体よりよっぽど気になった。10年使っているアルミのゴミ箱に貼った。その頃アルバム「I♥U」を出していた。友人にお金を出して、焼いたCD-Rを貰った。その頃はWinMXのようなP2Pが大流行していた。今だから気付けるが、そのCD-Rの中身はきっとそれからダウンロードされたものだろう。CD貸してって言ったのにCD-Rを金で売ってくるなんておかしいもんな。しかし、そのCD-Rから取り込んだミスチルの曲も死ぬほど聞いた。ちょうどお小遣いで自由に使えるお金も毎月5000円くらいに増え、たまにカラオケに行くような余裕ができたからだ。ありがとう父さん母さん。その頃は声も低く、バンプミスチルも歌えなかった。悔しかったので自室にこもって布団を被って歌う練習をしていた。そのおかげでか、今は高い声も出る。ヒトカラが好きなのはその経験があってのことかもしれない。ちなみにうるさいから黙って寝ろと親に何度も叱られた。「FAKE」も買ったな、もうセンター試験直前とか直後そういう寒い時期だった。柴咲コウ主演のどろろのタイアップ曲だったが、手塚治虫どろろが好きだったので何故かそこは頑なに許せなかった。大学に入ってからはバンドやHIPHOPにハマっていったので、ミスチルのような大衆のためのポピュラーミュージックはあまり聞かなくなっていった。僕の記憶のミスチル像は18歳の次は、いつの間にか30歳手前になっていた。なんかくだらないことばかりで、告白の前に勇気をもらうために聞いた!とかバスケの試合の前に気合入れるために聞いた!みたいなドラマチックなものは一切無かったけど、いろんなことを思い出した。