マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

自分を知ることは、未来の誰かを傷つけないこと

 ここ半年は毎月とある飲み会を開いてもらっている。その飲み会には20代後半くらいのこれから伸びてくるだろう男性のクリエイターの人たちが集っていて、その場に毎度呼んでもらっている。ありがたいことだ。ちなみに女性のクリエイターはまた別に集まっている。秘密結社みたいだ。

 では何故三流以下映る価値なしの僕が肩を叩かれているのかといえば、それはひとえに主催者に気に入られたからに他ならない。もっと言えば、僕の名前が「ふじいたかし」でなかったら二酸化炭素のように扱われていただろう。親の先見の明には、大人になってからは特に頭が下がりっぱなしだ。サンキュー両親。

 その飲み会にはいろんなメディアに出ているAさんだったり、あのデザインをしたアートディレクターBさんだったり、誰しもが知ってる曲を作ったCさんだったりとか。コンプライアンス的にあんまり言えない自分がやっている仕事とはまた違ったことをしている人がたくさん。その中になんで自分がおるんじゃろうかと思うこともあるけど、今までもそんな感じだったなぁと顧みる。前職のときは、マーケターなら誰もが知ってるD氏とか、大企業の執行役員E氏と仲良くさせてもらったり、今社会で話題の社長F氏と毎週仕事で顔つき合わせてたりしたなと。ちなみに前述のアルファベット諸氏はもう二度と出てくることはないし、ここのパラグラフはいわゆるふくらし粉だ。読む意味は無い。

 昔からあれよあれよと新規のコミュニティに潜り込むことがあって、うーん、前世はスパイ活動でもしていたのかなとも思う。それともウィルスとか細菌の類だったんだろうか。どのコミュニティだろうが、お呼ばれしたら絶対行くことにしてるし、全部大事にしている。もう少し年齢が上がると、年下に自分のコピーみたいな人が現れるかもしれない。その子を同族嫌悪してしまうかもしれない。それが一番今怖い。素直に誘えない気がする。

 自分のどこが皆の琴線に触れるのかはまだ分からないが、その分からない何かをなるべく大切にしていきたい。その理由に気づきたい。理由が分からないものに対して、僕は距離を取ってしまうから。いるかも不明なその子を傷つけないためにも自分のことを知らなくちゃいけない。