マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

期待を、つづける

 そういえば今週は何も書いてなかったな。

 他人に期待してはいけない、と最近はインターネッツを漂流していてしばしば見るようになったと思う。個人的には何とも寂しい風潮が蔓延しているなぁと思ったりするものの、やはり他人に小さく期待して裏切られて、ちょっとしゅんとし続けている。やはり言説としては自分を傷つけないための良い処世術だと読みながら頷く。

 そういえば昨日はこんなことを思った。誰かからお願いごとをされたあとに、このお願いごとから今後どういう道筋が辿れそうなのかを相手に指し示したほうが良かったのかもしれない。お願いごとは単なる作業でなく、俺はあなたがこのお願いごとをしてくれたおかげでこんなことが分かったぞ、今後に繋げられるぞみたいなアピール。それはどこかの国では感謝とも言うんだけど、それをまざまざと見せられた方が嬉しいかもしれないなぁと。

 これも相手が喜ぶためにやっていることで、期待をかけているのとあまり変わらない。このアピールが失敗して自己嫌悪に陥っても、感謝をされたくて相手とのやりとりを丁寧にすることは必ずよい結果をもたらす。自分が相手の立場になったときに気持ちが分かるからだ。感謝の気持ちは体全体をつかって相手に伝えると良い。ありがとうを言ってくれてありがとうと。

 コミュニケーションというのは相手への信頼で成り立っている。信頼は期待と置き換えても良いかもしれない。この言葉が通じるか通じないかをいちいち気にしていてはコストも大きく心労もデカい。通じると期待して、僕たちは言葉に想いを乗せている。だったらその想いを、最大限ポジティブに汲み取ってもいいんじゃないか。