マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20220620

先週は我が子が熱を出したり、嘔吐したりでなんかもう何かを書く気力が無く水金とサボってしまった。まぁええでしょう。今日から復帰しようと思ったら、11時くらいに熱が出たと園から連絡が来て、さっき回収して今ベッドで寝かせている。子どもというのは本当に小学校入学までに200ほどの病気を貰うみたいなことを聞くけど、その通りなんだろうなと肌で感じる。熱が出ると丸24時間経った翌日でないと保育園に預けられないので、明日ももちろん在宅で子どもをあやしながら仕事をするわけだけど、マジで勘弁してくれという気持ちでしかない。今、保育園の0、1、2歳児では胃腸炎がブームらしく、たくさん休んでいるらしい。そんなムーブメント作らなくていいから…。園児にコロナが出ても濃厚接触者はいませんでいたって絶対言うのに胃腸炎は何故こんなにカジュアルに伝染しちゃうんだよ。とにかく健康でいられるようにとわが子には願うばかりです。

読書感想文:ブルーノ・ムナーリ「ファンタジア」

今、ブルーノ・ムナーリ著の「ファンタジア」を読んでいる。内容は「クリエィティブとはどういうことか」を分析している。大体7割ほど読んだ。この時代の書籍はマクルーハンの「メディアはメッセージである」のようにテキストと写真を複雑に見せるのが流行っていたのだろうか。読むと大変なのだ。

いつも僕が見ている作家やデザイナ、アーティスト寄りの人は何故社会問題に対して敏感で、割と反対活動をしているのかずっと気になっていた。今だとインボイス制度なのか、それは身に降りかかるから仕方ないとも言えるが、原発反対やLGBTについてなどへの関心がそもそも一般人より高いのではと感じる。その謎が6合目あたり、子供に対する教育がテーマのパラグラフに書かれていた。

創造力のある人は、常に共同体から文化を受け取り、そして与え、共同体とともに成長する。創造力のない人は、だいたい個人主義者で、頑なに自分の意見を他の個人主義者のそれと対立させようとする。個人的問題よりも社会的問題に従事するほうがずっと正しい。

簡単に言えば、この正しさを信じているからであり、この感覚を知っているからであろう。個人主義の限界とその無意味さについては、僕の友人が語っていた。彼は僕の高校時代の世代ではナンバーワンの創造力の持ち主で、彫塑を作ることに長けていた。しかし、彼は有名美大を卒業し、地元に帰って作家活動を続けると言った数年後、作家活動を辞めた。彼が言っていたのは、◯◯会という会派の存在意義がずっと分からなかったが、辞めるときになってようやく分かったと。それは、締切が無いと人間はモノが生めないこと、もう一つは社会的に切り離された感覚になってしまい自分の中でのフィードバックだけになり成長が止まってしまったと。地元とはいえ、寂れた田舎では社会活動とも縁遠いだろうし、共同体への関与のスケールは小さいものに限定されたのではないだろうか。

彼は幸せに暮らしているらしいと聞いてはいるが、創造者としては一旦足踏みしている。僕は彼が落ち着いた頃にまた作品をたくさん発表してくれることを望んでいる。創造するには社会への正のフィードバックが必要であると、すでに50年前には見抜かれていたことを、この本により知った。

未来の僕が友人を作れなくなったらこれを読んでみてほしい

あらまし

友だちをどう作るのか、が話題になっている。今の自分がどうやって作ってるのか、未来の僕のために書く。

学生時代から友人は多い方だったが、ここ数年はコロナのせいで新たに関係を結んだ友人は少ない。昔から、どちらかといえば濃い関係は数人で、あとは浅く広い交友関係を持つスタイル。割と普通だと思う。名前も相まって、芸能人と同じ名前のヤツってどんなヤツなんだろって感じで向こうから来ることもある。お得だ。

 

友人ってなんだ

そもそも友人ってなんだっていう記事もあったりするけど、そこらへんを具体的にしてってもしょうがない。本当は何かしらメリットを享受できる関係であればいいけど、具体的なメリットがない状態でも付き合える関係を友人と、個人的には言いたい。こいつとなら2時まで喫茶店で適当な話できるなっていう関係が友人と言えるかもしれない。割り勘でこっちがちょっと損な金額になっても気にならないとか。ガソリン代は気にするな的な。

 

自分なりの作り方

僕の友人の作り方は、自分が属していなかったコミュニティへ飛び込むことが肝だったと思う。カードゲーム、草野球、Web業界の同世代のコミュニティなどに飛び込めば自ずと友人ができてきた。最近はマルチまがい商法の人が跋扈してるらしいので、そのニオイは嗅ぎ分けないといけないが、そればっかりは正直運。ただ勇気を持って飛び込むことが肝要で、その後に勇気を持って人と話す。ただ、コミュニティは同じような価値観を持つ人が多いので素直に話せば良いと思う。あとは、コミュニティのフリーライダーだから運営してくれてる幹事には三顧の礼を持って感謝を表現する。さすればまた次も誘ってくれる。最初のうちは積極的に参加するに限る。

 

自分というキャラ

Twitter上で出会った人と実際に会ってよく指摘されるのが、キャラが実物と乖離していないこと。「まんまなんですね!」「いや、おちんぽとかはリアルでは言わないけど…」みたいなやり取りがよくある。Web上でのキャラが好きでフォローしてくれてるのに、それが実際に会ってみると違っていたら嫌だ。自分に素直であるべき。自分のキャラをチャーミングだと思われてるなら、それを崩すと相手は辛い思いをする。逆に、SNSで暗かったりカッコいいキャラを演じてる人は辛いと思う。素で居られない場に居続けるのは、難しいし、しんどい。

 

だけど…

唯一、昔から決めていることは、同じ会社で一緒に仕事している間は友人のように振る舞うことはしないようにしている。一緒に何度もお酒を飲んだりしたとしても、友人になるのとは違うと思っている。もしもこの人と取引やメリットが無かった場合にでも付き合えるのか?を考えたりするのが面倒だからだ。評価にも影響しやすいし。なので、その人が今いる立場から退職したタイミングでSNSでつながったりするようにしている。調べられてフォローなどされたときは甘んじて受け入れている。

 

上級者

そういえば妻は友人作りが抜群に上手い。元々全く関係ない業界の友人をSNSでたくさん作っていたが、子供ができるにあたってママアカウントを作りいつの間にかたくさんの新しい友人を作っていた。割と積極的にオフ会というかリアルで遊びに行ったりもするし、本当にスゴいと思う。

彼女を見ていて思うのは、まずSNSにおけるルールを見て学んで、それに則った行動をしている。積極的に似たような状況の人を探して声を掛けたり、いいねをしたりとコミュニケーションを取っている。そして自分の得意な領域に引きずり込む。例えば、ここのベビー服がいいみたいな話題を提供したりとか。すごい。情報を集めて、整理するのが得意なようで、その力をいかんなく発揮している。んで傍から見てワイワイしているのを見てまた別の人が声を掛けていくという正のスパイラルができている。僕にはとてもできない。

素直で正直なところがチャームとして彼女の良いところで、それをみんなが分かるように振る舞っているんだろう。

 

おわりに

なんか説教臭い文章になっちゃったのは残念だけど、もしも僕が中年期に入ったときに友だちができないなぁ…って思ったらこれを読んで思い出してほしい。困ったら妻を頼ればなんとかなるけど、そのときも一緒にいることを願う。

逆転裁判をやっている

最近PS4/Switchで逆転裁判シリーズの5つがセットで売られていて、友人にも勧められたのでやっていた。逆転裁判2までクリアした。面白かった。正直、主人公の成歩堂龍一御剣怜侍異議あり!って言ってるくらいしか知らなかった。

初代はスゴい難易度が絶妙で、考えればなんとかなる範囲だったけど、2はかなり大変だった。一発アウトの問題もあったし、正直覚えてない証拠を最後で提示しなければならず、覚えてねーよ!って叫んだ(心で)。テンポが悪くてやり直すときにしんどいことも何度もあったけど、キャラゲーなので愛すべきキャラクターがたくさんいてトータルで楽しい。敵側の狩魔冥という女の子が最後に見せる、そこでしか使われない素顔の立ち絵を見て苛立たしい演出もあったけどなんだか清々しいカタルシスが通り抜けた。

逆転裁判3もやりたいものの、ここ一ヶ月で何冊か本を買ったのを読まないといけないので、読んでからにする。

飛行機

我が子は空を飛んでいるモノが好きで、優雅に飛んでいたりする鳥や遙か上空を飛んでいる飛行機によく気づいて「おー!」とか「あ!あ!」と感嘆の声を上げながら指を指している。

そんなこんなで割と行こうか迷わないくらいの距離に小さな飛行場があるので、バスにゆられて向かった。ちょうど離発着が少ない時間帯だったので、一台しか見られなかったが空を旋回したプロペラ機が着陸し、数十m先に止まるのが見れた。大満足で楽しそうにしていた。

どうして飛ぶモノが好きになったのかは分からない。乗り物図鑑でも飛行機のページをよく開いて指さし点呼をしている。これは、たまたまだが、保育園ではそれぞれの園児たちにアイコンを与えられるが、それが飛行機だった。こういった偶然は重なって重なって個人の趣味嗜好やアイデンティティを形作っていく。そのシグナルを見逃さずに好きなことに触れさせたい。

そして、家に帰ると大満足のまま、すぐに夢を見た。