マレーグマの頭のなか

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読書感想文:ブルーノ・ムナーリ「ファンタジア」

今、ブルーノ・ムナーリ著の「ファンタジア」を読んでいる。内容は「クリエィティブとはどういうことか」を分析している。大体7割ほど読んだ。この時代の書籍はマクルーハンの「メディアはメッセージである」のようにテキストと写真を複雑に見せるのが流行っていたのだろうか。読むと大変なのだ。

いつも僕が見ている作家やデザイナ、アーティスト寄りの人は何故社会問題に対して敏感で、割と反対活動をしているのかずっと気になっていた。今だとインボイス制度なのか、それは身に降りかかるから仕方ないとも言えるが、原発反対やLGBTについてなどへの関心がそもそも一般人より高いのではと感じる。その謎が6合目あたり、子供に対する教育がテーマのパラグラフに書かれていた。

創造力のある人は、常に共同体から文化を受け取り、そして与え、共同体とともに成長する。創造力のない人は、だいたい個人主義者で、頑なに自分の意見を他の個人主義者のそれと対立させようとする。個人的問題よりも社会的問題に従事するほうがずっと正しい。

簡単に言えば、この正しさを信じているからであり、この感覚を知っているからであろう。個人主義の限界とその無意味さについては、僕の友人が語っていた。彼は僕の高校時代の世代ではナンバーワンの創造力の持ち主で、彫塑を作ることに長けていた。しかし、彼は有名美大を卒業し、地元に帰って作家活動を続けると言った数年後、作家活動を辞めた。彼が言っていたのは、◯◯会という会派の存在意義がずっと分からなかったが、辞めるときになってようやく分かったと。それは、締切が無いと人間はモノが生めないこと、もう一つは社会的に切り離された感覚になってしまい自分の中でのフィードバックだけになり成長が止まってしまったと。地元とはいえ、寂れた田舎では社会活動とも縁遠いだろうし、共同体への関与のスケールは小さいものに限定されたのではないだろうか。

彼は幸せに暮らしているらしいと聞いてはいるが、創造者としては一旦足踏みしている。僕は彼が落ち着いた頃にまた作品をたくさん発表してくれることを望んでいる。創造するには社会への正のフィードバックが必要であると、すでに50年前には見抜かれていたことを、この本により知った。