マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

年をとった

 

 30歳になったことについて、何も書いていなかった。毎年何か書いていたかなぁと遡ってみたら早速去年で既に書いてなかった。だからやめとくかとも思ったけど、何かしら残しておく。後で読み返せることが最も大事。

 僕は年齢を重ねることに対して、割と毎年嬉しく思っている。結果を残さずとも喜ばれることなんてこの歳になると多くなく、誕生日はその一つだからだ。その侘しい喜びは大切にしていきたい。

 

 身体的には以前も書いたが、虫さされの痕が皮膚に色素沈着しやすくなったなというのが最も顕著に老いを感じるところだ。あとは少し髪が薄くなってきた気がする。多分昔から大きくは変わってないけど、気にすることで特にそう感じやすくなっている。周りの友人も徐々にそうなっているのが面白い。老いは面白い。昔と同じ自分がいないこと、記憶と身体が一致しないこと。一致するのは夢の中でだけ。

 2008年の自分と今の自分をご対面させたら、どう思うだろうか。これも同じようなことを書いた記憶もあるが、とても見せられないようなオトナにはなってないことが今は救いだ。給料こそ多くはないが、友人の多い人生を送れていると思う。同じ会社や過去の学校関係にしか友人がいないなんてこともなく、いたるところに友人がいる。とてもありがたいことだ。昔、困っていたことを、今の僕に相談してくれたら、きっといい回答を渡せると思う。

 

 今、自分の目標を考えている。目標というのは、目的に到達するまでのマイルストーンだから、そもそも目的を作らなければいけない。僕にとっての目的、生きる目的、働く目的はなんだろうと考える。考えたこともなかった。考えなければならないことから、目を背けていた気がする。先日の記事と同じだ。僕が書くことは既に大体書かれている。

 こういう目的は過去の経験から導き出すことが一般的なんだろうか。それでいえば、一つあることに気付く。それは「やりたいことをやれなかった」ことが、僕にとっては最大の後悔かもしれない。家族の中でも制約があり、いろいろやれなかった。やらせてもらえなかった。当時は情報を得る術を知らず、説得する術も知らなかった。そういう子どもだったからこそ、誰かがやりたいことを阻害する世の中を変える必要があると思う。多分、今の生きる目的を設定するのならば、これならばスッと胸に入ってくる。

 

 この目的を元に、目標を設定する。30歳になったから、ではなく、目的を達成するために、目標を立てて30歳の自分をアップデートさせていこう。

20180827

 友人(以下、Nくん)が彼女にフラれたそうだ。僕と同い年なので三十路。そろそろ結婚できる女性を探さないとと重い腰を上げていた。そして、彼女から「もう少し高め合う関係になれる人がいいの」と言われてしまったらしい。

 

 彼女とはマッチングアプリで出会い、4ヶ月ほどで別れることになったらしい。Nくんは様々なマッチングアプリを試し、どのアプリにはどういう層がいて、どのような目的で使っているか、どのように使っているかを詳細にExcelで管理していた。その調査資料にはマッチングアプリだけでなく街コンのデータなども入っている。どんな女性に出会ったか、どのような話をしたか、はたまた同じ男性枠にはどんな人がいたか、自分との差別化ポイントはどこにあるかなど、まるでマーケティングリサーチ、自社サービスのPDCAを回すかのように自分の婚活をしていた。それをベースに出来た彼女が前述の彼女だったそうだ。すごいことをしているなと尊敬しつつ、自分には真似できないなと思っていた。別れて即やったことはマッチングアプリの再登録だったそうだ。2年間も恋愛に手を出さなかった自分とは大きな違いだ。

 

 婚活をすることだけでなく、仕事のように私生活を回すことをやったことがなかった。例えば大学受験も、ちゃんとスケジュールを引いて、いつまでに数学の微分積分がスラスラと解けるようになっていないと困るという目標設定はすべきだと思う。今振り返ると。ただ、やってこなかった。誰かが引いた時間割に従い、塾の時間割に合わせて勉強していれば、人並みにはできたから。就活もしたくないという理由だけで、まともな就活戦争はしてこなかった。スケジューリングやKPTを人生においてもやるべきだとは思う。

 が、なあなあで生きてきた自分にとっては時の流れや社会の流れに身を任せることで目的地にほど近いところまで行き着くことができた。恋愛もその通りでなあなあにしていた結果、情で繋がっていた関係が、切れた。でも、また良い人と出会うことができ、結婚までいくことになった。

 

 結婚という「ペラい紙を一枚、役所に届けるだけ」だと思っていた、だけど思っているよりも面倒な儀式に対して、何をしなくちゃいけないのかを整理しながら、スケジュールを引きながら、全員が納得できる答えを探りながら少しずつだけど進めている。みんなが生きる上でやってきたことを、齢30になった平成最後にやっとこさ重い腰を上げて、やっている。

 ちなみにNくんは東大卒の官僚なので、スーパーウルトラ優良物件なのにつまらない理由で振ったもんだなぁと。いやそれでもそれ以上の価値がその「高め合う関係」にあるのだろうと、今後出会うこともないだろうフッた彼女とNくんに良い人が見つかるように祈っている。

20180803

 

毎年この時期になると悩んでいるような気がして、一体どうだろうと昔のブログを読み返してみたけど思ったより悩んでなかった。この印象が強いのは多分4年前に転職活動をする前の、会社を辞める決意をしたあたりの苦しさ故だと思う。あの頃のせいで、胃の弱さを未だに引きずっている。

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このブログはストーリーテリングなんてことをやっていない。読めば分かるが。仕事で似たことを推進しているからだろう。何度も書いているが、このブログは未来の自分への手紙であり、記憶を呼び起こすためのトリガーである。今の時代の人だときっとInstagramとかで写真に残すのが普通なんだろうが、僕は視覚情報ではそのとき気持ちを思い起こすことができない。誇張された感情が浮き上がってくる。これらの文章だって多少は誇張してしまっているけれどね。

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禅についての漫画を読んだ。禅において、文字や言葉というのはそれそのものでしかなく、それ以上の意味を持たない。師が言っていたことを他人に言うことはただのオウム返しでしかなく、実際に自分の五感を使って体得しなければ全く無意味である。なんでもそうだな。一番驚いた金言は「生から死へ至る距離が時間」という言葉だった。

20180723

 

 今日はなんだか仕事に身が入らない。きっとこの謎のソワソワした気持ち、今までの自分と照らし合わせると今週いっぱい続くだろう。とはいえ、気張る必要がないほどの仕事量なので少しずつタスクを消化して今週はやり過ごそうかと思う。

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 いつのまにかひどく汚くなっていた枕カバーと敷布団カバーを変えた。真っ白のカバー、寝てるときに無意識に垂れてくる唾液の汚れが目立ちやすいものから、使い古した畳のような色のカバーに変えた。それだけなのに、なぜか今日はグッスリと寝られた。

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 中学生だったか、おおよそそのくらいの時期に歩き方を意識するようになった。なぜだかガニ股で歩く友人がいたく気になってしまった。歩き方なんというものは誰から教えられることもなく、自然と覚えるものだと思う。気になってしまったら仕方ないので、真っ直ぐ歩くことにした。ファッションショーのように交差させるまではいかないまでも、真っ直ぐ一本のライン上に足を置くようにした。だから何が変わったわけじゃないけど、それ以来その歩き方をしている。

 そして最近気付いた。歩き方のせいなのか分からないが、僕は周りの人間と比べると歩くのが遅い。通勤の駅までの道のりで男女問わず抜かされてしまう。時間的な余裕があるからというのも理由の一つかもしれないが、それにしても抜かされる。そこで歩き方を、足を前に出す方式で少し歩いてみると、なんとも早い気がする。足の回転数がいつもより多い気がする。余談だが、弱虫ペダルを初めて読んだときに回転数にケイデンスとルビが振ってあり、固い押韻だと関心した記憶がある。そうそう回転数が多い。あと地面を蹴りやすいからなんかグイグイと前に進んでいる気がする。まぁだからといって歩き方を今更変えることはしないが、今までやってきたことを捨ててみることも面白い発見があっていいなぁと、40℃を超える暑くてしんどい日に思った。

大人になること

 「ふしぎの海のナディア」を最初から見返している。実は全部通しで見るのは初めてかも知れない。NHKで再放送していたのを、小さい頃に飛び飛びで見ていただけだから。昨日は話の折返しである17話「ジャンの新発明」を見て、不覚にも泣いてしまった。

 

 あんまりしたことないが、簡単なあらすじを書いておく。この回の一つ前の16話で、主人公の一人の男の子ジャンは生きるための目標を失ってしまった。1話からずっと「船乗りだった行方不明の父親を探すこと」が目標だと言っていた。彼が船や飛行機など様々な発明品を作るのは、単に作りたいからではなく、世界中を回って父親を探すためだった。そんな父親がこの世から既に去ってしまっていたことが分かったジャンは次の目標を探していた。

 一方でもう一つのテーマが浮き上がる。それは「子供から大人になること」だ。ジャンは自分が子供であるからできないこと、させてもらえないことが手に余るほどあることに気付く。ノーチラス号の正式な乗組員になって、父親の仇を討つ。ネモ船長に「手を汚すのは我々だけで十分だ」とはねのけられる。早く大人になりたいと焦るジャンが、周りの大人の手助けもあって少しずつ自分のすべきことを理解していく。

 結局、ジャンはナディアのために空を飛ぶ機械としてヘリコプターを作る。そしてプロボーズにも似たセリフと共に、新しい目標をナディアに告げるのだった。

 

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 アニメや小説なんかは自分が今どんな立場にいるかで誰の立ち位置と重ね合わせて読み取るかが変わってくる。ポジショントークならぬポジションリードだろうか。昨日の0083でも同じで、最近は僕がマネジメントやってたりするからか、それぞれが集団の目標に向かわず、自分のやりたいことをやっていたキャラクターに対して苛立ちを覚えていた。

 20年以上前に見ていた僕は当たり前のように主人公であるナディアたちに自己を投影していただろう。今は周りの大人たちに自己を投影していると、思う。今回のナディアの大人たちは復讐をするために人殺しを厭わない集団の中に、子供たちがいるという構造をしている。その中で大人たちは子どもたちが間違った道に進まないように進めている。大人の仕事、子供の仕事、それぞれのやらなければいけないこと、やるべきことは違うことを視聴者に語りかけている。

 

 今回は印象深いセリフが多い。

ジャン「子供じゃ夢は叶えられない…ただ追いかけてるだけだ」

ランディス「おとなに勝てるのはおとなだけだからさ」

サンソン「自分のことは自分でけりをつけるもんさ」「自分に何が出来て、何が出来ないのか分かるようになりゃ、一人前だな」

ハンソン「子供は素直に、大人を頼ればいいんだ。それが大人の仕事だからな」

 

 そして、この回のクライマックス、完成したヘリコプターで空にナディアと二人きりになったときのジャンのセリフがトリガーだった。

ジャン「ねぇナディア、やっと分かったよ。(何が?)今までの僕とこれからの僕さ。僕はこの船に乗って勉強を続けるんだ。科学だけじゃない。世の中や大人の世界も勉強する。今は空を飛ぶだけだ。それじゃ君をアフリカには連れていけない。でも、君を守ることができる大人になったら、必ず連れてってあげるからね!」

ナディア「うん、待ってる!」

これを言い切った瞬間にこみ上げるものがあり、めためたに泣いてしまった。ブルーウォーターのアコースティックなBGMと共に耳に入ってくるこのセリフから、ジャンのとても静かな成長が感じられた。

 

 他にも上記のセリフを調べていると、庵野監督の語りが出てきた。

 「『どうしておとなになるの?』とナディアが聞いたところで、グランディスに『おとなに勝てるのはおとなだけだから』っていわせて茶化してます。そういう答えってこちらでだせるものではないですからね。見ている人にも分かる時がくるから、その時に分かればいい」*1

  当時見ていた僕は意味もわからずこのシンプルで複雑な疑問を胸に留めていられただろうか。これを今見ている僕は30歳のおじさんになってしまって、やっと分かり始めた。ナディアが名作と呼ばれるのは制作陣が豪華なわけではなく、そこにある人間の成長が美しいからだ。

 

 今日の2時に姉の子どもが生まれた。おめでとう。僕もノーチラス号にいるような子どもを導ける大人たちになれたら。

 

*1:ぼくらは「ナディア」から、女の子との付き合い方を学んだのだ :https://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20120405/E1333574035332.html?_p=3