マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

スルメ

fujiitakashi.hatenablog.com

記憶や思い出はスルメみたいなもんで、噛めば噛むほど味が染みでて美味しいんだけど、原型が無くなっていく。どんなカタチだっけと口から出しても、その形は変形している。その変形した形が、それが事実だったか虚構だったかなんてのは分からなくなっている。咀嚼しても反芻しても満足感は得られる。ただ、忘れさられる部分は沢山ある。でも、それでもいいんじゃないかとも、思ったりする。

 

 

 なんか3年前の自分がそんなことを書いていた。いいなぁ。

 噛み続けると、エッセンスだけになってしまう。咀嚼していない記憶の方が、ふと思い出したときにしっかりと、色鮮やかに蘇ったりする。普段の生活でよくリフレインする記憶の枝葉末節はよっぽどのことが無い限りは忘れてしまっている。あの旅行で乗った電車のボックスシートの位置とか、そのときにどんなことを話したとか、あの子がどんな服を着ていたとか、靴ずれのために絆創膏を貼っていたかどうかとか。しかし、そこに重要な部分が噴出していて、僕らはそれを忘れてしまうためにしばしば怒られてしまうのだ。それもまた大事な行為なのだけれど。

 

 3年前の自分の方が物事の本質を捉える力があったのではないかと、今の自分と照らし合わせてみて思う。今の自分は3年前の、そしてそれ以前の経験だけで人と話しているような感覚になる。それは想像力とは言わず、自分が遺したレガシーである。この書は10秒で筆を滑らしたが、これまで生きてきた50年と10秒なのだという話はあるが、僕はその50年で止まっている。時間を止めずに先に進むことを今はひたすらに考え、動いている。

初めてのこと 20170804

 お昼ご飯に何を食べるか悩みながら、左手に財布を、右手にイヤホンをぶら下げたiPhoneSEを握りしめてオフィスを出た。エレベーターホールで同僚に声をかける。「なんかオススメのランチありますかね…?コメ系がいいんですけど」「前にも言ったけどシンガポール料理行きました?」「なるほど」ということで、オフィスから徒歩5分、全部で6車線ある大きめの横断歩道を渡った先のシンガポール料理屋さんを目指した。

 シンガポールの国旗がある。そう耳にしたので探したのだが、無い。あるのは同じ月と星のマークを携えたマレーシア料理屋だけ…。なるほど、ここだったか。シンガポールじゃなくてマレーシアだった。確かにまぁ似てないこともない。阪神タイガースが大阪が兵庫かなんていうのは分からない人は分からないだろう。エレベータで上がって、2階。エレベータの中は更に上の階の美容室の得体の知れないなんとなくドレッシーな女性の匂いがして、不安になった。ドアが開いたら思ったよりも綺麗で落ち着いた空間だった。民族っぽさのある置物はあまりなく、かといってお客さんは外国の、特にアジア系の人が多く見られたのでそのバランスがここはマレーシア料理屋だと示していた。

 カウンターは無かったので、一人なのに四人がけのテーブルにつかされ、僕は海南チキンライスを頼んだ。焼肉屋のタレを入れるような更に赤、黄、黒のタレが入れられていた。自由につけて食べろということだろうが、それぞれ何味か最後までよく分からなかった。パクパクモグモグ。美味しい。サラダと飲み物とデザートは食べ放題のようだ。席数は24くらいあるのに、店員さんが少なくて慌ただしさがずっと続いていた。

 

 こういう初めて行った場所を思い出して書くこと、何となくだけど今日から始めようと思った。

しゃしん

 今、自分が写真展を開くとしたら、どういうテーマ設定をするだろうか。

カメラを友人に預けてから気付くと4ヶ月近く経っていた。触ってないカメラに対して畏れがあるような気がしている。時間は物事を深刻にする作用があるらしい。ちょっとばかり自分の昔話をしようと思う。

 このブログを始めるよりも数年前に僕はカメラを始めた、いや、写真を撮ることを始めた。僕はカメラに興味が出てこなかった。写真を撮ることは楽しかった。型落ちしたCanonのカメラと安い単焦点レンズでたくさん撮った。下手なりにたくさん撮ることで何がいいのか悪いのかを選別していった。スナップ写真を撮っていた。人に声を掛けることができなかっただけだ。背が低く、痩せている身体に産まれたことを初めて悔やんだ。先輩に声を掛けてもらって、ニュースサイトの写真を撮ることもあった。絶頂期のAKBを本物のカメラマンと一緒に撮れた。ウォール・ストリート・ジャーナルにも載ったりした。でも、やっぱり街中のよくわからない喜びや悲しみや楽しさや怒りなど複雑に混じり合った誰かの心情を、とにかく勝手にフレームに収めていた。そう僕が呼んだ感情をロランバルトプンクトゥムと呼んでいることを明るい部屋で知ったが、そこら中に「いい」ものが溢れかえっていることも同時に教えてくれた。自分が撮った写真が好きだった。それ以上にウィリアム・エグルストンの写真は好きだったが。あのころ見ていた街の解像度は本当に高く、鮮やかだった。

 それから5年ほど経って、すっかり写真の夢から覚め、熱も冷めてしまった。あの頃の熱情はなんだったのか、今となっては全くわからないほどに遠くに感じている。あれこそが自分にとっての自分探しだったようにも思えるし、僅かながらの社会への抵抗のようにも思い出される。

 今一度、幾年前の熱情を思い出すことが喫緊の課題だ。あの頃はテーマもクソもなくただひたすらに撮り続けていた。あのとき潤沢にあった溢れんばかりの時間も今はもう無いが、その中でもきっと撮れるものはたくさんあるだろう。あの頃の解像度を思い出したいのだ。

柚子胡椒

深澤直人中村勇吾の対談に行った。

割とワイワイニコニコな感じでその人達の人柄が分かる対談だったように思える。

 

・アートは刺激を与えるもの、デザインは刺激を与えてはいけないもの。アートとデザインの分け方にはいくつも今まで聞いてきたけれど、これは割と分かりやすく今の時代に合致している例え方なのかなと感じた。

・「よい」はソーシャルグッドネスとかポリティカルコレクトネスとかそういうこと。Appleの製品は完全に「よい」。この発言にはハハー、となった。「いい」は内発的なものだろうか、説明を省かざるをえない良さのこと。「いい」はマンツーマンでは教えることができないが、130人の教室のなかで醸成していくことはできると言っていた(多摩美統合デザインの話)。つまり今回の展覧会のテーマである Ambient(環境や空気など取り巻くもの)のことを言っているのだなと解釈した。「いい」は結局自分の中で消化しては「よくない」のだと。デザインに答えはあるとも言っていたことから、そこが伺えた。そしてそれは周りとの合意で形成される。

・印象的なのは、彼らの会話で柚子胡椒の話が出てくるのだが(柚子胡椒は美味いよねと)それはつまり体験を伴ったコンテンツのことなんだろうと思う。柚子胡椒を作った人はデザイナーとは言われない。しかし、我々は彼をデザイナーと呼んでもいいのではと言っていた。デザイナーはそういうところへ進出するのかもしれないと。つまりはどういうことかというと、デザイナーというものが狭義のものから逸脱していって、彼らが思う「いい」ものを作り出していく人になると受け取った。メモってないので具体的な話ができないが、また珍しい体験のできるホテルの話もしていた。そのホテルは「朝食はどこで食べますか?」と質問されるそうだ。「あの山の中腹で食べたいです」と指定すると、そこにテントやらなんやらを張り、明朝そこまで行って食べることができるそうだ。そういうことをやったら「いい」よね的なことを提供できるかどうかが問われている。

・余談だけど、これはデザイナーだけの話じゃないよね。あとは身体的な方に徐々に価値が寄っていってるのかな?違うのかな?Webが今までは自宅のPCでダイヤルアップ接続やADSLISDN的な回線を通じて行うものから、スマートフォンの登場によって常時接続と身体への固着され、固定されていたものに対する価値が暴落した。そのために、そこにいなくても分かるものに対する価値が落ちたので、もう一度固定されているものに対しての価値の見直しというか、やっぱ現地いかねーとわかんねーわ!みたいなことをいかにして価値を上げたり、その情報を広めたりするかに価値が置かれているんだなぁ。情報を得るためのコストが30年前に比べて10分の1くらいになってるのではと考えると、そこではなくて現地で得る知覚情報に価値が出てくる。他人の知った情報を共有できても、まだ他人の快感を共有することは電気信号レベルでもできないから、それができるようになるまで(VRの極限がそれだろう)はコストが上がってもそこに価値が出るし、お金を払う人はいるだろうな。

 

ガーッと書いたから雑すぎるけどまぁええじゃろ。

タイマン

これはタイマンの勝負である。

勝敗を決するのが目的では決してないのだが、

何らかの意義を持ち帰るという勝負なのだと思う。

相手からどれだけ多くの意義を共有し、

自分のものにできるかどうかを競っている。

 

ーーー

寝付きが良い自分でも昨晩は寝付きが悪かった。

飯も食べずにコーヒーを飲んでしまった結果だろう。

 

ーーー

バスケットボールなんて部活動以来何年もしてないのに、未だに夢を見る。

試合で活躍していることが多いが、今日の夢は試合の前にチームのみんなと並んで座っていた。

中学校時代に部活の顧問でもない、当時でももう既に年のいった女性の社会の先生が、

総柄の南の島の空と海をプリントしたようなアロハシャツを着ていた。

 

それを見た僕は

「先生、ド派手なシャツやなぁ」

とみんなにも本人にも聞こえる声で言った。

 

先生は笑っていなしていたが、口が滑った僕は内心ヒヤヒヤしていた。

周りのみんなも笑ったりからかったりしていたものの、

事実、そういう発端を作ることがよくある僕は無意識レベルでの

どこまでがセーフでどこまでがアウトなのかを慎重に探っていたのだろうか。

話題を変えようと、後ろを振り返った瞬間に目が覚めた。

 

いつもより4℃低い設定温度で冷やされた部屋と、

多めに三枚掛けられたブランケットが僕の体温を支配していた。

いつもより湿度の感じる部屋で冷えた汗がブランケットに飲まれていった。