マレーグマの頭のなか

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柚子胡椒

深澤直人中村勇吾の対談に行った。

割とワイワイニコニコな感じでその人達の人柄が分かる対談だったように思える。

 

・アートは刺激を与えるもの、デザインは刺激を与えてはいけないもの。アートとデザインの分け方にはいくつも今まで聞いてきたけれど、これは割と分かりやすく今の時代に合致している例え方なのかなと感じた。

・「よい」はソーシャルグッドネスとかポリティカルコレクトネスとかそういうこと。Appleの製品は完全に「よい」。この発言にはハハー、となった。「いい」は内発的なものだろうか、説明を省かざるをえない良さのこと。「いい」はマンツーマンでは教えることができないが、130人の教室のなかで醸成していくことはできると言っていた(多摩美統合デザインの話)。つまり今回の展覧会のテーマである Ambient(環境や空気など取り巻くもの)のことを言っているのだなと解釈した。「いい」は結局自分の中で消化しては「よくない」のだと。デザインに答えはあるとも言っていたことから、そこが伺えた。そしてそれは周りとの合意で形成される。

・印象的なのは、彼らの会話で柚子胡椒の話が出てくるのだが(柚子胡椒は美味いよねと)それはつまり体験を伴ったコンテンツのことなんだろうと思う。柚子胡椒を作った人はデザイナーとは言われない。しかし、我々は彼をデザイナーと呼んでもいいのではと言っていた。デザイナーはそういうところへ進出するのかもしれないと。つまりはどういうことかというと、デザイナーというものが狭義のものから逸脱していって、彼らが思う「いい」ものを作り出していく人になると受け取った。メモってないので具体的な話ができないが、また珍しい体験のできるホテルの話もしていた。そのホテルは「朝食はどこで食べますか?」と質問されるそうだ。「あの山の中腹で食べたいです」と指定すると、そこにテントやらなんやらを張り、明朝そこまで行って食べることができるそうだ。そういうことをやったら「いい」よね的なことを提供できるかどうかが問われている。

・余談だけど、これはデザイナーだけの話じゃないよね。あとは身体的な方に徐々に価値が寄っていってるのかな?違うのかな?Webが今までは自宅のPCでダイヤルアップ接続やADSLISDN的な回線を通じて行うものから、スマートフォンの登場によって常時接続と身体への固着され、固定されていたものに対する価値が暴落した。そのために、そこにいなくても分かるものに対する価値が落ちたので、もう一度固定されているものに対しての価値の見直しというか、やっぱ現地いかねーとわかんねーわ!みたいなことをいかにして価値を上げたり、その情報を広めたりするかに価値が置かれているんだなぁ。情報を得るためのコストが30年前に比べて10分の1くらいになってるのではと考えると、そこではなくて現地で得る知覚情報に価値が出てくる。他人の知った情報を共有できても、まだ他人の快感を共有することは電気信号レベルでもできないから、それができるようになるまで(VRの極限がそれだろう)はコストが上がってもそこに価値が出るし、お金を払う人はいるだろうな。

 

ガーッと書いたから雑すぎるけどまぁええじゃろ。