マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20190516

 

 最近はよくサボる。16時くらいになっても仕事に進捗が無さそうだなと思ったら、外に出る。そのままオフィスに戻らず、バッティングセンターに行ったり、家に帰ったりすることもある。なんとなく悪いことをしているように感じるが、弊社は裁量労働制を布いているので、何も行動自体に問題はない。罪悪感や背徳感がある気がするだけで、仕事はちゃんとしているので問題ない。

 

 サボると大体いつもと違う道を通る。不思議といつもは通らない道を選択する。ああ、ここはここと繋がってたのか~と新しい発見があるのがよい。いつもは北側からこの道を見ていたけど、南側から見るとこんな感じなのか~みたいな気持ちよさもある。

 サボるといつもの道が微妙に違って見える。こんな時間にここを通ると怖いお兄ちゃんおるんじゃなとか、日中って意外と若い人多いんだなとか。サラリーマンを箱詰めした電車の往復だと見えないものも多い。働いてる人と足並みを揃えないことが、働いてる人以外を知る方法だ。

 

GW前後総決算

 

 4月中盤からGW明けまで仕事もプライベートも忙しく、日記を書くような暇がなかった。いや、あったけど面倒になっていた。久々に一ヶ月以上も書かなかった。ということで、とりあえず、時系列に日記を書く。

 

1. 4月頭の日曜日

 暇だった。確か暇で、やることがないねーなんて土曜日の夜に言っていたのをなんとなく覚えている。

 我々夫婦は元々新婚旅行が終わったらビーグルを飼う予定で、各地のビーグルのブリーダーを巡るつもりでいた。しかし日課である可愛いビーグルパピーを探していたら、東京郊外のペットショップに気になってしまう子がいた。

 まぁ暇だし、行ってみるかと思ったのがダメだったっぽい。めちゃくちゃ可愛い。抱いてから、帰ってどうやって飼うかという話をし、Amazonやらで飼う準備を始め、翌週の土曜日にはもうお迎えしてた。可愛いっす。

 

2. 4月中旬の日曜日

 ビーグルを飼ってしまったとはいえ、4月半ばに僕らは結婚式を控えていた。幸い近所の大きな動物病院でパピーでも預かってくれるようで、その日は預けて京都へ行った。

 泊まった宿が随分良かった。京都は今ホテルが乱立しているらしい。数年後には1万部屋追加すると書かれた記事を見た。確かに5階建てくらいまでの低層ホテルが多く建っていた。僕らが泊まった部屋は地下にあった。京都は地下に古い文化遺産がたくさんあるので、むやみやたらに掘り始めると行政にストップされるから地下に掘り進めるのは難しいと聞く。でも、高く建てられないのであれば、下に向かうのは必然じゃないのかなーとか思った。難しいね。

 結婚式は疲れた。一言で疲れた。でもやってよかった。式に呼んだわけではないが、告知はしてえいたので来てくれた人が何人かいて、ああ、幸せだなぁと感じた。

 親戚一同に、とても良い友人と暮らしていることを示すことができてよかった。とても満足している。カメラマンに頼んだ写真が来るのが楽しみでならない。

 

3. GW

 本来であれば結婚式に来ていた友人たちと鎌倉へ二泊三日の旅行をする予定だった。しかし、前述の通り、ビーグルのパピーを飼ってしまった上、妻は通常営業とのことで僕一人で世話をしなくてはいけないのでキャンセルした。

 GWはだいたい犬と一緒にゴロゴロしていた。久々にアニメを2クール一日で見たり、朝から晩まで寝てみたりとかなり充実していたように思う。今年のGWは10連休とかいうおかしな長さだったけど、振り返ると一瞬で過ぎ去っていた。その間に犬は待てをおすわりを覚えたので、とても賢いのではないかと思う。

 

4. GW明け

 仕事が忙しかったのはGW明け公開のサイトを作っていたからで、GWにも少しだけ仕事をしていた。人間というのは締め切りギリギリまでやらないということを久々に思い知った。本当に怠惰な生き物である。エンジニアの美徳の一つだが、エンジニアに到達するまでの人間が怠惰である場合、ヒーコラいうのはエンジニアなので、他の人は美徳に勤勉を入れておいてほしい。

 そんなこんなで無事サイトも公開でき、今はようやくゆっくりとした平日を過ごしている。先週の木曜日は暇すぎて友人と一緒に仕事をサボって(裁量労働制なのでセーフ)バッティングセンターに行って銭湯に行って帰るということをした。僕の高校時代は非常に勤勉だったので、サボるなどという愚かなことはしなかったが、絵に描いたような怠惰な高校生を演じられて非常にストレス解消になった。

 

 仕事がやっと落ち着いたので、これからまた日記を書いていこうと思う。

20190403

今年はカープが弱い。

まだ4試合しかしてないが、1勝3敗で単独最下位になった。1000日ぶりとからしい。あーなんか懐かしい感じしてきた。こういうカープ。これもカープだ。ここ3年までの強いカープも楽しかったけど、こういう勝ちきれない試合ばかり負けてしまうのもカープだった。新井が抜け、丸が抜け、ジャクソンが抜け。主力や優勝した3年に活躍した選手が軒並みいなくなってしまったけど、昔からカープはそういうチームだったし、若い選手に期待して応援をしていくのが伝統だ。このまま弱くなってしまっても、首都圏のチケットが前よりも取りやすくなったりしないかな?と期待するくらいで、僕のような25年カープを応援している人間からしてみれば、これも楽しみなのだ。ここからまた強くなってほしい。そして、昔の丸のように新しい選手が出てきて僕らをワクワクさせてほしい。今年は巨人からやってきた長野が良い感じだ。知ってるベテランが来ることなんてほとんどないから、面白い。昨日もホームラン打ったし。あんな打球でスタンドまでいくもんなんだね。性格もナイスガイだし、いい選手だ。何事も変わらないことが、一番面白くない。負けたって、優勝を逃したって、最下位になってしまってもいいじゃない。今年の野球も、これからのカープも楽しみだなぁ。

新しい元号

 

 今日は新元号が発表される日だった。フェイクニュースも当たり前のように不必要にデリバリーされるようになって、そろそろエイプリルフールネタなんてのも不必要に感じてきて、企業のネタもどうでもよくなったここ数年間とは違い、真に新しいものに出会えるとワクワクしていた。

 

 月曜日は定時の10時よりゆっくりと家を出ると決めていた。日差しが春らしい気持ちの良い日だった。11時頃に会社のデスクに着いて、いつもと変わらず、今日やることをメモ帳に書き連ねた。11:30から始まる記者会見をインスタライブとYouTubeNHKのネット放送の3画面で確認する。どれが遅延が少ないか。なんだかんだインスタだったので、インスタを見つつNHKの音声を聴いていた。会見は少し遅れていた。

 

 「令和」の二文字がシンプルな額縁に入っていた。最初は「令」の字が読めなかったが、菅官房長官の「れいわ」の声が聞き取れて分かった。音を聞いた瞬間に「これは良い」と確信した。明るい未来が感じられる、美しい響きだと。

 Twitterでどなたかが呟いていたが「ただの文字が連なって、意味を成して、言葉になっていった瞬間が見れた」と。全く同じ感情を抱いた。明治時代の賢者たちが、外来語を日本語に直したときに新たな言葉を次々に生み出していった反面、平成の時代では何もかもをカタカナ語で表記している。もう二度と新しい漢字で作られた熟語は生まれないと悲しく思っていたが、ここに新しい言葉が生まれた。そして、一瞬のうちに国民だけじゃなく全世界の人々にも広まっていった。言葉のパワーを存分に感じた。

 

 ここ100年強は天皇陛下が存命中は元号は変えないと決められていた。それまでは飢饉や天災があるたびに変えていたというが、意外にも「令和」で248番目らしい。大化の改新が645年だから、1400年も大事にしてきた元号がたった248個とは逆にスゴい。

 天皇陛下が亡くなってから決めてしまうと、悲しい雰囲気が世の中を包んでしまうから、この明るい雰囲気を持つ言葉を出しにくくなってしまったかもしれない。このお祭り騒ぎもなかったかもしれない。そう思うと、今上天皇は世の中を思った選択をしてくださったと感じる。

 

 この「令和」が使われるのがもう30日切ったと考えると、楽しみで仕方ない。僕は既にかなり気に入ってしまった。とても良い時代になってほしいし、できるなら僕もその良い時代に加担したいと思う。頑張るぞ。

20190313

 顔は男女関係なく注目してしまうが、髪の毛は女性の場合、特に注視してしまう。ツヤだ。昔、高級ヘアケア商品を仕事で扱っていたことが理由としてあるのかもしれないが、髪がまとまっていて、艷やかな人は注視してしまう。並の努力じゃねぇ。

 髪がキレイな人はきっとナチュラルボーンではない。この四季とはいえど、冬はほどほどに寒く、夏は殺人的に暑い日本では内なる力から艶のある髪は難しいのではなかろうか。人工的な薬品を使わねば、あの艶は維持できまい。つまり、とても金がかかる。特に高級なやつ。めっちゃ効くやつ。

 したがって、髪に艶のあるご婦人は金を持っている。金を持っていない人は、髪に気を使うことなんてできない。現に僕は極貧生活を強いられているので、髪に気を使っていられる暇も髪もなくなってきた。悲しい。会社ではずっと帽子を被っている。そんなことはどうでもいい。彼女らは金銭的な余裕がある。

 金銭的な余裕があるならば、生活の余裕もある。以上からして、髪のツヤは心の余裕から生まれるものであることが判明した。つまり僕は金のある人に注視しているということか。悲しいね。

 

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こないだランチを上司と一緒に摂った。年齢の話になり、未来の話になった。

僕は意外と未来に対して期待しているんだなと気付いた。ただし、テクノロジーに限るが。ここ数年でPS4Nintendo Switchを買ったり、PSVRや新宿のVR ZONEなど最先端のゲーム分野のテクノロジーに触れる機会が多くあった。そこで毎回心躍らされる。新しい表現方法や知覚を与えられることの喜びを得ている。昔は50歳くらいで死んでもいいかなって思ったけど、少なくともシンギュラリティが起こると言われる2045年くらいまで生きたらもっと面白いゲームや体験できそうだなって。早くどこでもドアが出来て、空間と時間の制約がなくなればいいのにね。

 

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打ち合わせをしていて、嫌な大人っていると思う。何かを言ってるようで言ってないとか、議論を混ぜっ返すだけ混ぜっ返してケツを拭かないとか。そういう大人にはなりたくねぇという一心で、毎回こいつにはなりたくねぇって人の額にバーチャル焼印を押して反面教師にしている。

しかし、昨日の打ち合わせではそれになりかけていて、一瞬なったけど我に返って我慢して押し黙った。まだ留まることで自分の軸があることに喜びと、その嫌な大人に一歩半くらい踏み出してしまった悲しさが打ち合わせ終わりに襲いかかった。