マレーグマの頭のなか

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新しい元号

 

 今日は新元号が発表される日だった。フェイクニュースも当たり前のように不必要にデリバリーされるようになって、そろそろエイプリルフールネタなんてのも不必要に感じてきて、企業のネタもどうでもよくなったここ数年間とは違い、真に新しいものに出会えるとワクワクしていた。

 

 月曜日は定時の10時よりゆっくりと家を出ると決めていた。日差しが春らしい気持ちの良い日だった。11時頃に会社のデスクに着いて、いつもと変わらず、今日やることをメモ帳に書き連ねた。11:30から始まる記者会見をインスタライブとYouTubeNHKのネット放送の3画面で確認する。どれが遅延が少ないか。なんだかんだインスタだったので、インスタを見つつNHKの音声を聴いていた。会見は少し遅れていた。

 

 「令和」の二文字がシンプルな額縁に入っていた。最初は「令」の字が読めなかったが、菅官房長官の「れいわ」の声が聞き取れて分かった。音を聞いた瞬間に「これは良い」と確信した。明るい未来が感じられる、美しい響きだと。

 Twitterでどなたかが呟いていたが「ただの文字が連なって、意味を成して、言葉になっていった瞬間が見れた」と。全く同じ感情を抱いた。明治時代の賢者たちが、外来語を日本語に直したときに新たな言葉を次々に生み出していった反面、平成の時代では何もかもをカタカナ語で表記している。もう二度と新しい漢字で作られた熟語は生まれないと悲しく思っていたが、ここに新しい言葉が生まれた。そして、一瞬のうちに国民だけじゃなく全世界の人々にも広まっていった。言葉のパワーを存分に感じた。

 

 ここ100年強は天皇陛下が存命中は元号は変えないと決められていた。それまでは飢饉や天災があるたびに変えていたというが、意外にも「令和」で248番目らしい。大化の改新が645年だから、1400年も大事にしてきた元号がたった248個とは逆にスゴい。

 天皇陛下が亡くなってから決めてしまうと、悲しい雰囲気が世の中を包んでしまうから、この明るい雰囲気を持つ言葉を出しにくくなってしまったかもしれない。このお祭り騒ぎもなかったかもしれない。そう思うと、今上天皇は世の中を思った選択をしてくださったと感じる。

 

 この「令和」が使われるのがもう30日切ったと考えると、楽しみで仕方ない。僕は既にかなり気に入ってしまった。とても良い時代になってほしいし、できるなら僕もその良い時代に加担したいと思う。頑張るぞ。