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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

生きるために働く、働くために生きる。

 

 そう、何で働いているんだろう。と、思うことはある。というか、常日頃思っている。だって、働きたくないじゃない。働かなくていいのなら、それでいいよ。ダラダラと毎日過ごすわけじゃなくて、毎日違う場所に寝泊まりしたり、数ヶ月缶詰して絵を描いてみたり、人々の生活を豊かにするために自分の能力で何かを作ったりできるじゃない。人間が人間らしく暮らすっていうことを資本主義は無視してるんじゃないかなーって思ったりする。人間らしくなんて、俺が決めることでもないし、誰が決めることでもないけど、あまり今の状況は好きじゃない。

 

 働くことが趣味っていう人がいるのかもしれないけど、ちょっとよく分からない。働くことは趣味ではないだろう。今の日本の義務のうちの一つに勤労の義務ってのがあるのにもかかわらず、それを趣味って言うのか。義務を全うすることが趣味です!って義務なんだから当然なんじゃないのか。とかさ、いや、それは国家が国民に勤労の場を提供するってことだよとかそういう話は特にしたくない。

 今、僕がどこかで、働く/雇われるということは「現状を維持する」という側面が強いと感じている。今生きるために働く、毎日ごはんは1000円使うために働く、家賃を絶やさないように働く、ガス・電気・水道を止めないようにするために働く…過去の基準に基づいた今を最低ラインとして、それをキープするために働いている。

 僕は今まで、生まれてこの方、生活レベルを落としたことはない。それは親が宝くじで一等を当てたり、はたまたリストラされたりという経験がないということと等しい。それは素晴らしいことのはず、だが、価値観が一定しているということと同義だ。人間はゆらゆらと揺れる草木のように定住することを求めてきた。それはここにいれば木の実がこの時期に取れ、どんな動物がいるのかということが分かるからだ。分かるということの安心感は生きることの安心だった。

 

 ただ、今は違う。生きることがアタリマエに出来るようになってしまった現代では、分かることはつまらないことで、安心感というのは牙を丸くさせていくだけのものにすぎない。凝り固まってしまった価値観の上では今の世の中では生きていけない。

 

 働かないという選択肢は、あるんじゃないか。

 働かずに、生きる。働くことは、生きるためにある。

 生きるために、働くのは、もう終わりでいいんじゃないか。