マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ごはんはおかず

僕「メシ行くか」

某「何食べます?」

僕「1000円以内で美味いメシ」

という微妙に噛み合わない会話を引っさげて、何も決めずに会社を出て昼飯を探す。渋谷には ”1000円以内のメシ” と ”美味いメシ” はあれど、その中間点、そう今あなたの頭に浮かんでいるベン図の真ん中の重なっているところ、そんな店はそうそう無い。

 今じゃぐるなび食べログもRettyも信用ならない。連日のキュレーションメディアのせいとは言わない。そもそも、インターネットに書かれていることで信用できることなんて自分で書いたことと、自分が知っていることの答え合わせくらいだ。ハイパーリンクのその先ですらリダイレクトがかかって何度ブラクラや海外のエロサイトに飛ばされたかもわからない。基本的にインターネットは信用のできないことが書いてあったり表示されていると僕は2000年代初頭に学んだ。そもそも人の言うことが信用できないのは小学生の時に既に学んでいる。

 こういうときは美味いか分からないし、1000円以上掛かるかもしれないけど行ったことのないお店に行くのが一番良い。誰かの知恵より自分の直感を信じるべきなのだ。

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 10年ほど前に、美味いか分からないし、1000円以上掛かるかもしれないけど行ったことのないお店に行ったときの話。

 大学生になりたての頃、学校で初めてできた友だちと新宿の東南口付近に初めての買い物に行ったとき、食べる場所が分からなくて困っていた。いや、本当はそこら中にロッテリアすき家など何でもあるはずだったが、初めての大都会新宿に恐怖していてあまりその場から動くことが怖かった。遭難したときは動かないことが一番だと本で読んだことがあったからだ。当時はガラケーで GoogleMaps は無かった。ぐるなび食べログを知らない、無垢な18歳の子供だった。

 その恐怖から逃げるためなのか、何を思ったか僕と友人は東南口を出て階段を下りた先の正面にある、軒先に赤いビニールの屋根がかかっている食堂を選んだ。今となってはおばあちゃんが夫婦で趣味でやってそうなオンボロな食堂に何故入ったのか全く分からない。しかも、定食に900円くらいとられて美味しくもないという。向こうもこんな店に高校生くらいの子供が入ってくるなんて思ってなかったのか、怪訝な顔をしていたのは覚えている。その友人と新宿で飲むと未だに話題に上がるくらい意味不明だ。お上りさんが登りすぎて滑落して麓まで転がってしまったのか。死ななくてよかったよ本当に。

 とたくさん愚痴ってしまったがその値段の微妙な高さも微妙な不味さも、10年近くなった今でも話題にしてくれる。食事を摂ることを作業にしてはいけない。誰かと食べる時は、どんなメシでも思い出になれるような場所に行きたい。さて、今日の昼飯は何にすればいいだろうか。

狂い聴き

 僕は同じ曲を飽きるまで聴き続ける癖がある。今はT-squareの宝島を聴き続けている。多分YoutubeiTunesを両方合わせるとおよそ300回は聴き続けているだろう。ちなみに最高回数はThe band apart の夜の向こうへで約1000回聞いている。アコースティックバージョンも含めれば1200回聞いているようだ。さすがに主観的に見てもキチガイのそれにしか感じない。

 いつからそうなってしまったのかは分からないが、自分のお小遣いで初めて買った宇多田ヒカルのアルバムですら一曲だけをかわりばんこに聴き続けていたので、多分根っからの一曲リピート聴きなんだろう。そういうことを後輩に話したら「そういえば、ふじいさんも僕と同じで同じ曲をずっと聞き続けるじゃないですか、あれアスペルガーの傾向があるらしいっすよ!」うるさいわい!とは思ったものの「まぁ分からんでもない」と心で頷いた。でもきっとその傾きを緩やかにしていけば、僕のような心優しい妖怪も人間世界には上手く溶け込めるだろうと考えたのだった。

 とはいえまだ苦しみが残ったので、同じ周回軌道で回り続ける人工衛星とか忙しなくぐるぐる回り続けて頭の毛が抜けた動物園のタヌキのように、同じリピートをし続けるのかを考えた。その結果、子供の頃はお金が無く、また時間も際限なくあったため自分が好きな曲やゲームやアニメをリピートしてたのではなかろうか。そういえば、トムとジェリーを狂ったように毎日見ていて親から「また見てるの?いい加減にしなさい」なんて理不尽な説教もくらったし、モンスターファームを家にあるCD数百枚を全てモンスターに変えていたような気がする。碌なモンスターはいなかったが。

 ははぁなるほど。この精神性が脈々と続いて今に至っているのか。ちょっとまって、それじゃあ僕の精神年齢は3歳くらいから全くもって止まっていて、未だにTwitterではちんぽちんぽ言ってるのはそういうことなのかと自問自答すると「うん、まぁ分からんでもない」と頷くしかないのであった。

20161209 - 日記

 腹が立つことがある。腹が立つというのは本当にお腹が膨れて立ち上がってしまうわけではなくて、ちゃんと何かに怒っているということだ。自分に腹が立つという言い回しもあるけれど、大抵の場合は自分以外にも対象があって、それに対して怒りを覚えている。僕の場合は自分に腹が立つよりも先に後悔と絶望が頭の中を充填して怒りを追い出してしまうので、大抵は何か別のものに対して腹が立っている。

 

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 不平不満は至るところにある。それについて自分の感想を書くのは簡単だ。それと同じく何かニュースや世の中の流行に乗って感想を書くのは非常に容易い。それが誰かの役に立つとか、読みやすいとかそういうのは置いといて。テーマが事前にあると書きやすい。

 テーマを無から捻り出すという行為は自分との対話でしか得られないが、それが本当に大変で、なにせ毎日毎日書きたいことなんてないのだから。職業ライターですら多分お金もらったり、依頼があったりしないとそうそう書かないのではないだろうか。知り合いは少なくともそうだ。日記を書く行為は空虚で無意味なものだと思っているが、いつか意味を持って欲しいと思っている。

 

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 バニラの香りの香水を振りまいている女性は本当にそれがいい匂いなのか、お店の人のアドバイスではなく周りにいる友人や同僚に聞いてみてほしい。何故その香りをチョイスしたのか、私を食べて欲しいという気持ちなのか、はたまた自己顕示欲の現れなのかは知らないが、その甘ったるいニセモノの香りは普段から嗅ぎ慣れてない人にとっては非常に苦痛を伴う香りなのだ。

人食いの大鷲トリコの触りで感じたこと

 トリコを2時間弱やってみた感想。

 トリコがめちゃくちゃ可愛い。トリコは画面上にしかいないし、3Dモデルで出来ている偽物の生き物ということは脳みそでは分かっているつもりなのだけれども、しかしトリコがまさしく動物の動きをしているから生きているものを見ている感覚に陥ってしまう。動物へ向かう愛情が確実に自分の中に芽生えているのが分かる。僕が飼っているハリネズミのチャツネへ向けているあの他人には見せたくない顔を、トリコに向けてしているだろうことを薄々勘付いている。

 チャツネもそうだし、言ってしまえば人間もそうなんだけども、動物とコミュニケーションを取れたとしても思い通りにいくことが本当に難しい。人間とは言葉を介してアレをしてくれ、コレをしないでくれとお願いできる。相手側にそのお願いに対するメリットがあれば受け入れてくれるだろうが、デメリットがあるときには拒否されることがほとんどだ。トリコもそうなのである。コミュニケーションをとることが動物と、チャツネと相対しているときの感覚に似ている。

 ただ一つ違うであろうことが、おそらく”トリコは全てを知っている”ということだ。それは創られたモノのサガであり、自分が今手を掛けている物語に終わりがあるということの証だ。人食いの大鷲トリコは上田文人さんが作る今までのゲームよろしく、一日にずっとやり続けたり、のめり込んでやるようなゲームではなく、一日に数時間、愛情をかけてやるようなゲームかなと思っている。面白い感覚が fun ではなく interesting に近い。もっと言うならばペットと戯れる感覚だ。ニンテンドッグスよりも本格的なペットとの生活が体験できるのではなかろうか。クリアにはまだまだ時間が掛かるだろうけれど、じっくりやっていきたい素敵なゲームだ。

 

UECを卒業して6年経って感じる寂しさ

 この記事はUEC Advent Calendar 2016の7日目の記事です。前日はrbsd66さんの「プレゼントを選ぶのって中々しんどくない?」でした。プレゼントは大抵自分が欲しいものをあげてます。手紙を添えれば安心安全。

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 こんにちは。UEC卒業6年目、11卒のふじいです。UEC Advent Calendar には何かを書こうと思って毎年結局書いてなかったので、今年こそはと思って今打鍵しています。

 僕は現在Web制作の会社でフロントエンドエンジニアとして働いています。

 卒業して6年ほど経ちつつあり、僕は現在調布にも住んでないし、1年に1度大学に行くか行かないか程度しかキャンパスに帰ってないので最近のことは全く知りません。教科書や過去レポもほとんど捨てたし、昔のこともあんまり思い出せません。当時やってたmixiの垢は先日爆破したので日記も残ってません。つまり現在も過去もUECについて書けません。なので今の仕事でUEC卒的に思うことを少し書きます。

 寂しいです。後輩が少なくて…。

 Web制作・サービス・アプリ業界にUEC卒が少なすぎる。出会ってないだけかもしれませんが、寂しい。後輩と話す機会がなくて過去の大学生活を忘れかけているのではないか…。いやもう6年経てば新入生が大学院を卒業する時間だししょうがないか…。

 なんでこんなに居ないのでしょうか。いやこっちの業界に来ないのは分かっているんですけどね。単体の理系大学とは言えど、院生も入れると毎年約千人近くの人が卒業しているにも関わらずWeb業界ではあんまり見かけません。僕の周りも大抵みかか周辺やSierが多く、きっとみんなメーカだと日立とか、部品メーカだと村田製作所とか、コンサルだと野村総研とか行っちゃうんでしょう。皆賢いですから。仕方ありません。お給料もいいし、世間体もいいし。どこ?そこの会社、大丈夫?何してるの?とか聞かれないだろうし。

 以前後輩にヒアリングしたときは「受託が嫌だ」という声も聞きましたが、受託も結構面白いですよ。下請けの下請けみたいなところはちょっと大変だと思いますが…。ちなみに僕も新卒で入った会社は、現在は上場してますが当時10人程度のベンチャー企業で自社サービスと受託の半々やってました。今になって受託での経験が大いに役立ってると思い…ま…す。多分。特に自分にとって大事なものが、相手にとって大事でないこととかよく分かります。

 あ、そうそうUECの授業で実践的なプログラミングは学べないのは仕方ないです。少なくとも僕は学んだ記憶がありません。今はもうプログラミング演習が Pascal じゃない話は聞きました。なんであんなものを教育用言語と言っているんでしょうか…。

 ウチは国立大学だから基礎研究がメインなので、そういう面があるのは割り切るしかない。僕が今の業界へ行けたものも独学で勉強した部分が大きく占めています。しかも卒業後に。卒業研究は先輩に手取り足取り手伝ってもらってなかったら多分卒業できてない…。その節はありがとうございました。…なので、元も子もないけど自分でやるしかない!自分ができない子ならばできる友人を見つけてプログラムが書けるようになろう!

 そしてWeb業界に少しでも足を突っ込んでほしい。同じ会社じゃなくても同じ業界に後輩がほしい!Web系UECで忘年会したい!UECっ子で将来が不安だとOBに会いたいとかで相談したい人がおったらばTwitterとかで連絡してくれたら手伝える範囲で相談乗ります。多分。きっと。なんとかします。

 

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 明日はhiromikai_green さんの「K課程のラボ生活について書く」です。僕のいたときにはK課程なんて名前のものはなかったので気になりますね。