マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

無題

Webは何故雑誌や紙面からシフトしたデザインが多いのか。この場合でいうデザインは情報設計のことであるが。Webの立ち位置は酷くちぐはぐだ。インタラクションが重視されるとはいえ、広告のように2秒ほどでそれを目に入れることをやめてしまう。基本無料の性なのだろうか。そして技術的にも人間の力技でどうにかならない期間が10年程続いていた。処理能力の問題や画像解像度の問題やら。やっとこさ出来る幅が広がったのがここ5年くらいだ。ストーリーとかナラティブとか声高に言われてきているからこそ、そろそろゲームの文脈からWebに石を投げる人が出てもいいような気がするんだが…いわゆる元Flasherがそれに該当するのかもしれない。

 

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なんだろう、例えば花を見た時に純粋に綺麗だって思うことは少ない。さらにそれが口をついて出ることはない。ああ、そうだな、綺麗だなと心を納得させているような感じだ。ただ、南の島で星空やを見て「あーいいなー」と思うことはあった。期待を超えている分がそれの感情を湧かすのだろう。絶対的な評価ではなく、相対的な評価としての「あーいいな」だったと振り返って感じる。最近は何かすごい有機物を見て感動することよりも、誰かに仕掛けられた驚きに対して心が揺れ動くようになっているのかもしれない。または期待を持って行動した結果、それをいい方向に裏切られたときだけかもしれない。なんにせよ、ちぃとばかり寂しさを自分に感じてしまうよ。