マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20180927

 

 毎晩家に帰るとゲームをしている。少し前は「ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド」をしていたが、今は「ゼノブレイド2」のDLCを楽しんでいる。ゼノブレイド2は昨年の12月に発売され、自分としては2018年1月末までに150時間ほど掛けて全クリしたゲームだ。そのゲームに追加料金を払えば、また別のストーリーが楽しめるようになっている。たった3000円でアップデートや準新作を楽しめるとは良い世の中になったものだ。

 

 しかしながらそこで不思議に思うのは、僕はこのゲームの何を楽しんでいるのかということだ。

 

 初めてプレイするゲームに対しては操作性やキャラクター、世界観、ストーリーなど全てに期待を持っている。しかし、一部違うシステムが組み込まれているとはいえ、操作性はほぼ同じ。さらに、”今回追加された別のストーリー”はゼノブレイド2本編の500年前の設定のため、既にクリアした人はどういう結末を辿るのかを知ってしまっている。キャラクターも本編に出てくる者たちがほとんどなので新鮮味はない。実際消費アイテムやモブキャラ造形ですら本編の使い回しだ。

 では何に楽しさを感じてプレイしているのか。

 それはやはり”物語り”なのだろう。流行りの言葉で言うと「ナラティブ」だ。与えられたシナリオのスタートからエンディングに至るまでの道中を、どのように、具体的に、時間を掛けて、自らが、コントローラを握って行うか。それだけなんだろう。自分がすることに意味がある。実況プレイだけ見てても分からない手汗や尿意を自分で作り出すこと。だからこそ、人はゲームの体験を語りたがるんだろう。同じものをやっていても、違う体験や感受をするからこそ楽しいのだと。

 

 でも誰も周りでこれをやっている人がいないので、誰にも語れないため、僕は脳死状態でやります。