マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

きっかけは自分に埋もれて忘れていた

ちょうど今、会社の面談で自己分析をしている。ブログを書いている頃は毎日のように自分を吐露していたからそれをまとめてコピーすれば似たようなものが生成されていたのだが、やめてしまってからは仕事をこなす、作業をこなすことに必死でなんでこの会社で働いているとか自分が何したいからこの会社で働いているとか貢献するとか人に何かを与えるとかもらってるとかWebって自分にとってなんなんかとか社会にとってどういう役割をWebが担っているとかその可能性とか将来とか未来とか全部忘れてた気がする。

先週、面談でもうちょっとちゃんと振り返ってこい!バゴーン!って言われたからこの三連休で考えてたんだけれど、大事なのはきっかけな気がした。前の会社を辞めたきっかけ。今の会社に行きたいなって思ったきっかけ。今の会社を知ったきっかけ。応募しようと思ったきっかけ。確かに「切欠」で、生活の一部を切り取った欠片でしか無いはずなんだけど、それがすごく大事なことに気付かされた。その欠片がたくさん集まって自分の歴史ができあがってる。チリも積もれば山となる。昔、富士山を作ると言ったぼくの記事があると思うが、それをしっかりと思い出せた。こういうことはやはり定期的にやらなくてはもったいない。せっかくこういう場があるんだから。とはいえ、最近は自宅に深夜過ぎてから帰ってくることも多くてコミットしようと思っても身体がベッドに引きつけられてしまうのが残念だ。しかし眠い目をこすりながらやるものでも無いのかもしれないとも思ってしまうし、いっそのこと、寝る前は箇条書きに書いて、寝て、夢を見ながら朝に醸造された濃い記憶を綴った方がいいのかもしれないな。