マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ニワトリ頭

 月曜日だし、何か書いておこうという気持ち。この毎週湧き上がってくる気持ちは嘘ではないけれど、しかしながら書くようなテーマや出来事は全く無いのである。周りの群衆は気持ちが先か、出来事が先かと話し合っているのをたまに耳にするけれど、それこそニワトリとタマゴの問題のようにぐるぐるぐるぐると思考が回り続けて一向に結論にたどり着くはずもない。とはいえ、おそらく周りの群衆はとうに結論は分かっている。気持ちが先でそれを満たすものなればそれでよいのだ。所詮ニワトリの頭で書かれるものなんて三歩あるけば記憶から抜ける。また週頭になれば気持ちがフツフツと湧いてくる。

 

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 去年も買ったのだが、宝くじを購入した。年末ジャンボ宝くじを買ったのは去年が初めてで、去年は謎にワクワクしてしまって片手に収まるだけの300円が手に入ったときに、当たるわけがないのに期待してしまって、俺はなんてちっぽけな人間なんだと悲しくなった。しかし人は、いやニワトリは記憶力が足りないのでまた買ってしまった。会社のデスクの見えるところへ置いて、眺めては当たれと念じている。

 「宝くじは夢を買うものだ」というのは言い得て妙で、たった3000円程度で「もしも7億円とは言わず1000万円当たったら何を買おうか」という妄想ができる。GoogleMaps は旅行する楽しみを手軽にできるようになった、反面その楽しみを奪ったとか言われたことがあった。宝くじは全ては妄想の中だけでの話なので、それを実際にやってこそ真の意味ができあがる。10億当たればもう何もしなくてもいいだろう。これからは自分のやりたいこと全てやればいいのだ。妄想を書き出すことができる。もしも当たらなくても、それを一つずつこなしていけば人生がいいものになるのだと暗に言われているようだ。マッチ売りの少女は擦って灯った火を見ながら暖かいストーブや七面鳥の幻影が見えたという、それと何ら変わらない。そう、僕らはニワトリの頭をした少女だったのだ。

ごはんはおかず

僕「メシ行くか」

某「何食べます?」

僕「1000円以内で美味いメシ」

という微妙に噛み合わない会話を引っさげて、何も決めずに会社を出て昼飯を探す。渋谷には ”1000円以内のメシ” と ”美味いメシ” はあれど、その中間点、そう今あなたの頭に浮かんでいるベン図の真ん中の重なっているところ、そんな店はそうそう無い。

 今じゃぐるなび食べログもRettyも信用ならない。連日のキュレーションメディアのせいとは言わない。そもそも、インターネットに書かれていることで信用できることなんて自分で書いたことと、自分が知っていることの答え合わせくらいだ。ハイパーリンクのその先ですらリダイレクトがかかって何度ブラクラや海外のエロサイトに飛ばされたかもわからない。基本的にインターネットは信用のできないことが書いてあったり表示されていると僕は2000年代初頭に学んだ。そもそも人の言うことが信用できないのは小学生の時に既に学んでいる。

 こういうときは美味いか分からないし、1000円以上掛かるかもしれないけど行ったことのないお店に行くのが一番良い。誰かの知恵より自分の直感を信じるべきなのだ。

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 10年ほど前に、美味いか分からないし、1000円以上掛かるかもしれないけど行ったことのないお店に行ったときの話。

 大学生になりたての頃、学校で初めてできた友だちと新宿の東南口付近に初めての買い物に行ったとき、食べる場所が分からなくて困っていた。いや、本当はそこら中にロッテリアすき家など何でもあるはずだったが、初めての大都会新宿に恐怖していてあまりその場から動くことが怖かった。遭難したときは動かないことが一番だと本で読んだことがあったからだ。当時はガラケーで GoogleMaps は無かった。ぐるなび食べログを知らない、無垢な18歳の子供だった。

 その恐怖から逃げるためなのか、何を思ったか僕と友人は東南口を出て階段を下りた先の正面にある、軒先に赤いビニールの屋根がかかっている食堂を選んだ。今となってはおばあちゃんが夫婦で趣味でやってそうなオンボロな食堂に何故入ったのか全く分からない。しかも、定食に900円くらいとられて美味しくもないという。向こうもこんな店に高校生くらいの子供が入ってくるなんて思ってなかったのか、怪訝な顔をしていたのは覚えている。その友人と新宿で飲むと未だに話題に上がるくらい意味不明だ。お上りさんが登りすぎて滑落して麓まで転がってしまったのか。死ななくてよかったよ本当に。

 とたくさん愚痴ってしまったがその値段の微妙な高さも微妙な不味さも、10年近くなった今でも話題にしてくれる。食事を摂ることを作業にしてはいけない。誰かと食べる時は、どんなメシでも思い出になれるような場所に行きたい。さて、今日の昼飯は何にすればいいだろうか。

狂い聴き

 僕は同じ曲を飽きるまで聴き続ける癖がある。今はT-squareの宝島を聴き続けている。多分YoutubeiTunesを両方合わせるとおよそ300回は聴き続けているだろう。ちなみに最高回数はThe band apart の夜の向こうへで約1000回聞いている。アコースティックバージョンも含めれば1200回聞いているようだ。さすがに主観的に見てもキチガイのそれにしか感じない。

 いつからそうなってしまったのかは分からないが、自分のお小遣いで初めて買った宇多田ヒカルのアルバムですら一曲だけをかわりばんこに聴き続けていたので、多分根っからの一曲リピート聴きなんだろう。そういうことを後輩に話したら「そういえば、ふじいさんも僕と同じで同じ曲をずっと聞き続けるじゃないですか、あれアスペルガーの傾向があるらしいっすよ!」うるさいわい!とは思ったものの「まぁ分からんでもない」と心で頷いた。でもきっとその傾きを緩やかにしていけば、僕のような心優しい妖怪も人間世界には上手く溶け込めるだろうと考えたのだった。

 とはいえまだ苦しみが残ったので、同じ周回軌道で回り続ける人工衛星とか忙しなくぐるぐる回り続けて頭の毛が抜けた動物園のタヌキのように、同じリピートをし続けるのかを考えた。その結果、子供の頃はお金が無く、また時間も際限なくあったため自分が好きな曲やゲームやアニメをリピートしてたのではなかろうか。そういえば、トムとジェリーを狂ったように毎日見ていて親から「また見てるの?いい加減にしなさい」なんて理不尽な説教もくらったし、モンスターファームを家にあるCD数百枚を全てモンスターに変えていたような気がする。碌なモンスターはいなかったが。

 ははぁなるほど。この精神性が脈々と続いて今に至っているのか。ちょっとまって、それじゃあ僕の精神年齢は3歳くらいから全くもって止まっていて、未だにTwitterではちんぽちんぽ言ってるのはそういうことなのかと自問自答すると「うん、まぁ分からんでもない」と頷くしかないのであった。

20161209 - 日記

 腹が立つことがある。腹が立つというのは本当にお腹が膨れて立ち上がってしまうわけではなくて、ちゃんと何かに怒っているということだ。自分に腹が立つという言い回しもあるけれど、大抵の場合は自分以外にも対象があって、それに対して怒りを覚えている。僕の場合は自分に腹が立つよりも先に後悔と絶望が頭の中を充填して怒りを追い出してしまうので、大抵は何か別のものに対して腹が立っている。

 

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 不平不満は至るところにある。それについて自分の感想を書くのは簡単だ。それと同じく何かニュースや世の中の流行に乗って感想を書くのは非常に容易い。それが誰かの役に立つとか、読みやすいとかそういうのは置いといて。テーマが事前にあると書きやすい。

 テーマを無から捻り出すという行為は自分との対話でしか得られないが、それが本当に大変で、なにせ毎日毎日書きたいことなんてないのだから。職業ライターですら多分お金もらったり、依頼があったりしないとそうそう書かないのではないだろうか。知り合いは少なくともそうだ。日記を書く行為は空虚で無意味なものだと思っているが、いつか意味を持って欲しいと思っている。

 

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 バニラの香りの香水を振りまいている女性は本当にそれがいい匂いなのか、お店の人のアドバイスではなく周りにいる友人や同僚に聞いてみてほしい。何故その香りをチョイスしたのか、私を食べて欲しいという気持ちなのか、はたまた自己顕示欲の現れなのかは知らないが、その甘ったるいニセモノの香りは普段から嗅ぎ慣れてない人にとっては非常に苦痛を伴う香りなのだ。