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マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

純愛的行為の成れの果て

 

 とあるイベントで、とある有名なテレビのプロデューサーさんが言ってた。

 「ストーカー」という言葉が産まれてしまったがゆえに、今までは「純愛」だったはずの好きな女の子の家まで行って家の明かりが点いているかどうかを確認するという好意が禁止されてしもうた、と。

 

 何か新しい概念が産まれたことによって古くからの概念をぶち壊してなかったことにすることは簡単のようだ。温故知新はこうなってしまったらどうしようもない。あの行為はストーカーという名前が付けられていて、気持ち悪くて、あんなことをやるような人間は煮えたぎった鍋に「愛」と「憎悪」を一緒に放り込んで煮詰めたようなやつだ。というレッテルがはられる。確かにやられた当事者にとっては気色悪くてもう二度として欲しくないかもしれない。じゃあ、この概念が無かったらどう思っていたのだろうか。または、この「純愛」に別の名前が付いていた時に「ストーカー」という劣悪な名前に上書き保存されていたのだろうか。

 

 もちろん逆のパターンもあるだろう。ただ、もう、この純愛的行為が好意的に受け取られることはなくなってしまった。この由々しき事態を変えるためにはどうすればいいんだろう。「チョベリバ」のように忘れ去られるのが一番なのだろうか…。