マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

読書感想文:トーフビーツの難聴日記

はじめに

Tofubeatsはかなり前から知っている。僕の大学時代の親友Kが今や死語になりつつあるB-BOYだった。見た目だけでなくラッパーで、今でも曲を出している。僕の日本語ラップの知識は全てKからいただいたものだ。毎日Kの家で一緒に過ごしていた。

Kはネットでラップを公開するという今では当たり前のことを15年前にやっていた。その掲示板にいたのが当時高校生のtofubeatsだった。高校生のときのトラックを今聞くと荒削りだとは思うけど、大学生当時の僕はめちゃくちゃカッコいいと思った。つまるところ、15年間ファンをしているということです。彼が作った好きなトラックの曲は風玉a.k.a. らっぷびと「一人っきりのノイズ」と tofubeatsの「No.1 feat G.RINA」で、前者は死ぬほど聞いて、後者はMVを見まくった。

本全体の雑な感想

とりあえず、本の感想に。
日記の形を模したエッセイ集なのかなと思っていたが、開いてみると日記だった。「難聴」も日記を出版するに当たってのきっかけであって、難聴がいろいろなハプニングを呼び込むのかと言われるとそんなこともない。序盤の早いうちにいつの間にか治り、すぐに焦点からは外れていく。

なんじゃいと思いつつも、新譜の「REFLECTION」が作られる過程で起こる振幅がtofubeatsにどう肉付けしていくのかを読めたのはよかった。突発性難聴やコロナが始まる序盤から、世間が落ち着き始めてイベントにも参加し、以前の世間に戻るにつれて文章も少しポジティブになっているように感じた。
犬を飼い始めてからは犬のことがたくさん書かれる。もしも子どもができたら子どものことばかりが書かれていくだろうことが手に取るように分かる。

この書籍に対して読んで良かったなぁと思うのは、僕の中に人の日記を読みたいという欲望が根底にあるからだ。世間に公開されるために書かれて抑制された日記ではあるものの、日記を読めるのであれば万々歳だ。

ここから先は思ったこと。

差し入れ

差し入れをめちゃくちゃ買ってるし、いろいろと誰かに貰ってる。この贈与のペースがすげー良いなって思う。ザビビやツビズの頃のラップ掲示板で売れたのは、15年を振り返ってもtofubeatsただ一人だと思うけど、こういうリアルコミュニティへのマメさは間違いなく寄与してるのではと思う。もちろん曲は図抜けてたけど。
コロナ前には年間100本のイベントに出ていたと書かれていたし、もっと頻繁にしていたのだろう。出不精の僕ですらリモートワーク前には割と色んな人に会い、お土産を買っていったり飲み会に参加したりしていた。トラックメイカーやイラストレーターのような自分から湧き出す必要があるクリエイティブな人こそ色んな人やモノと出会い、自身を深めているように感じる。

インとアウト

そして、インプットとアウトプットの量がすごい。しかも、アウトプットがほぼ全てマスに向けて作られている。
そこまでアウトプットを求められたらそりゃあそれ以上のインプットをしなけりゃならないよなと思うけど、それにしても曲も文章も映像も口から出る言葉もアウトプット沢山してるんだなーと。恐ろしい。この本を読む前に、以下のリンクの記事を読んだけど、学生時代の読書習慣が素晴らしいなーと感心する。我が子にも読書とアウトプットの習慣をつけさせてあげたい。

ヒップホップ系楽曲の権利関係は面倒くさいんだなー
奥さんのこと好きなんだろうな、尻に敷かれ気味なのかな
ネットラップ初期に知った人の結婚をこの本で知ったのは笑った

とか

中身で気になった記述

4箇所ほど気になるところは付箋を貼っておいた。その中の一つ。

リアリティを出すために固有名詞をいっぱい羅列する、みたいな手法

この手法が好きではないのは分かる。僕もそこまで好きではない。最近ちょいバズりする麻布競馬場というTwitterアカウントツイート小説的なやつが肌に合わないのはそのせいだろう。

知っている固有名詞を出せば出すほど卑近に感じられて、なんとなく共感や想像ができる状態に持っていくのは、僕からすると特に面白さを感じることはできない。というか近すぎてパーソナルスペースに入り込まれる感覚に近いかも知れない。また、意図の無いテキスト上のフォーカスは、無意味なのでよくないという刷り込みがある。伏線となって回収されれば良いのかというとそういうことでもないのだが…。

tofubeatsが見た映画としては、その固有名詞で惹かれ合った二人がその固有名詞の楔が無くなったときにどうなるかというのがテーマの一つであったっぽいので、これから見ます。

おわりに

大豆田とわ子は最高だったよ。