マレーグマの頭のなか

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PdMの謎が(少し)解けた(気がする)

以前から疑問に思っていたことがある。それは、プロダクトマネージャー(PdM)の人らが何故あんなに躍起になって開発手法にこだわるのかである。世間で言うアジャイルだろうがウォーターフォールだろうが、プロジェクトを完遂することが主で、手法はなんでもよいのでは。スプリントバーンダウンやらベロシティやらグラフを作成したりとかなんなのって。確かに継続的開発がメインであるPdMなのだから当然なんだけど、僕からしてみればあまり意味を感じ取ることができなかった。

 

確かに、PDCAを高速に回せるようになったことがIT産業が既存産業を飲み込んでいったのは確かだ。農業のように一年に一回しかイテレーションを回せなかったり、製造業のようにイテレーションを回すのに大金が掛かったりする産業との大きな違いがある。アジャイル開発がもてはやされる理由はものすごく分かりやすい。

 

例えば、アジャイル開発にすればそんなに生産性が上がるのかなーという疑問は常に付き纏っていた。その疑問は最近払拭された。そもそも、生産性を上げるためだけにアジャイル開発をしているというのは、少し間違っているのではないかと僕の中では結論付けられた。ちなみに、この記事を読んでそう思った。

アジャイル開発におけるスケジュールを継続的に見直す - Chatwork Creator's Note

 

それは、自分が採用に関わっててようやくわかった。実際に何人、どんな人間を入れるのかというのを考えるのに自分には指標が全く足りてなかった。普通の会社で採用のヘッドカウントを決めているのかは分からないが、ボトムアップで決める場合はビジネス指標ではなくアジャイル指標で決めるしかない。

 

当然だがアジャイル指標は経営に意味をもたらす。どれだけリソースを費やせば、どれだけサービスが改善して伸びるのか、引いては会社の成長が見えてくる。そうすると、どれだけのスキルを持った人物(ベロシティの傾き)であれば傾きを上げられ、どれだけ人員を増やすことができるのかの損益分岐点が見えてくるはずだ。金額感もどんな人間を何人採用できるのか、というのは絵空事ではなく手元から算出しないといけない。

 

逆に言えば、経営に寄与していないのに手法にこだわるPdMは無価値であるとも言えるだろう。自分がやった結果を経営に進言しているだろうか。しっかりとビジネスと開発チームががっちりやっているケースを見てみたい。