マレーグマの頭のなか

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幸せであることを願う 読書感想文:「利他」とは何か

「利他」とは何か を読んだ。

今年の春、まだ長袖でも心地よい時期に買った本だ。友人に今読むべき本としてオススメされて即買ったのだが、本を読む習慣が子育てに翻弄されてズルズルと梅雨の終わりまで来てしまった。友人は著者の伊藤さんとは対談形式でお話を昨年していて、もっと前から注目の研究者として教えてもらってはいたが初めて著書を買った。どもる体はとてもいいと何度も推されていた。いつか読んでおきたい本の一つとして頭の書庫に収まっている。

 

この本は新書ながら、5名の多様な研究者らのオムニバス的な短編コラムを繋げたものだ。つまり読みやすい上に様々な角度で「利他」に向き合った文章を書かれているので、その中で自分に照らし合わせられる話をピックできるので、まずそこが良かった。書かれ方も平易で読みやすく、薄いのでタイトルにピンときたら是非読んで欲しい。

 

「利他」というものに対して、自分の過去を少し振り返ってみる。

僕は社会人一年目くらいまで利己的な人間として生きてきたように思う。周りからガツガツしてると言われたり、自分を中心とした天動説で周りが回っているように無意識に思っていたりしていたと思う。ただ、誰かの財産を奪うことを目的にしていない利己だったのでまだ可愛げのある利己だったのではないか。

いつからか利他に興味が出てきたというか、利己に意味がないと思うようになった。それは学生の間では自分の手の届く範囲でコトが済むというか、グループワークといいつつそれはただの役割分担でしかなく、役割の属人性が薄いからだ。社会に出てから自分に利を集めても、それを最大化できないことがよく分かった。世の中のほとんどは分業制で動いている。それは自分が凡人であることの証明でもあるのだけれど。

僕はソフトウェア寄りのディレクターをしているが、利己でものごとを動かすとどこかで不和が起きて破綻してしまうことがよくある。それを防ぐために基本的に相手を信頼し、意志を必ず一旦は尊重する。ある種、小人の靴屋の小人に仕事をお願いしているように、自然と出てくるものを待つ。ある程度コントロールはすれど、ガチガチに固めるのではなく風が吹くのを待つ、雨が降るのを待つような神事をしているように感じる。

そして、子供が産まれたことによって、利他をより感じるようになった。他人のために何かをするということを一生懸命考えたことがなかったが、少しずつできるようになった。それは未来を考えることであり、過去を省みることなんだとも少し気づけた。過去での行為が未来に続いているが、蝶の羽ばたきが竜巻を起こすように子供の頃の経験が今の仕事になったりする。その小さな種をいかに子供のために意識してあげられるかを考える。どの種が芽吹くかは分からないが、芽吹かなかったものも肥料となってくれることを願っている。願うことが、利他なんだと僕は思う。