マレーグマの頭のなか

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ラスアス2日記 最終日

 

ラトラーズと呼ばれる武装集団の巣にアビーを探しに行き、そこに捕らわれていた囚人を解放することで武装蜂起を起こす。彼らにアビーがこの先の海岸の杭にいると伝えられる。杭?と思いながら進むと、海岸に立てられた杭に縛られ立たされていた。

ラトラーズはWLFのように軍隊的に組織化されてるわけでもなく、セラファイトのように宗教で組織化されてるわけでもない、いわゆる海賊や盗賊のような、かなり北斗の拳的な感じ武装集団だった。感染者の首輪をハメて楽しむような描写もあった。生きている人間を囚人のようにしているのもよく分からない。労働力として換算しているんだろうか。

 

あの男性よりもガッシリとした体躯が痩せ細り、精悍な顔付きが今にも死んでしまいそうだ。どれだけ立たされていたのか。見つけたエリーはナイフを取り出すがそのまま殺すわけではなく、縛られた縄を切り、解放する。対面にいたレブも辛うじて生きていて、アビーは抱えてヨロヨロとよろめきながら脱出のためボートの方へ向かう。杭に釣られたまま殺してもいいはずなのに、解放するのは、アビーの死自体を求めているわけではないのだろう。相手を殺したいという気持ちと死を願う気持ちは全く別個のものである。自分の手を汚してもいいと思っているのは、私は既に死んでいたはずだから、生きていても意味がないという現れだろうか。

 

エリーもおぼつかない足元のアビーを追うが、途中でジョエルが殺害されるシーンのフラッシュバックがあり、殺さなくてはと殺し合いを求める。健康なままであれば、アビーの圧勝だろうにお互いに虚弱状態のためいい勝負になってしまう。

ここまで感情の入ってしまう勝負は今までなかったかもしれない。どっちにも死んでもらいたくないが、ここで正しいプレイングをしないと先に進むことができない。なので、エリーを操作をしているが、操作したくない気持ちしかなかった。アビーの内実を知らなければ何も思わずにプレイし、殺し合いをむしろ楽しんでいたかもしれない。このクライマックスをプレイヤーに体験させるために今までのゲーム性があると思うと、Game of the Yearも納得いくものがあった。

 

アビーを追い詰めるも、エリーは左手の薬指と小指とを噛みちぎられる。そのまま海に顔を鎮めようとするも、ジョエルがギターをにこやかに弾いている姿が浮かび、殺すことを止める。そのままアビーはどこかにいき、エリーはディーナの待つ農場に帰った。

ジョエルの死がトリガーになり、ジョエルの生がストッパーになる。なんなんだろう、Part llにおいて、Lastは ”終わり” じゃなくて ”続いていく” の方なんだろうか。関係性はずっと続いていく(続いてしまう)んだよ、という。

 

農場に帰ると、家の中は空になっていてディーナはそこにいなかった。そのまま二階の自室に行くとそのままになっていて、ギターを弾く。物語が始まる前の日を思い出し、ギターを置く。そしてエリーが家から出て、スタッフロール。

 

ジョエルとの前日の回想で、もうジョエルが出てこないと感じてしまい寂しくて泣いてしまった。

ジョエル「ディーナと付き合ってるのか?」

エリー「違う!あれは…ただのキスだし。別に意味なんてないよ。そもそも――なんでしたんだろ」

ジョエル「好きなのか」

エリー「ホントバカみたい」

ジョエル「俺にはあの子がどういうつもりかはわからないが…お前と付き合えるなんて幸せ者だろ」

エリー「よくそんなこと言えるね!」

ジョエル「おれはただ――」

エリー「あたしはあの病院で死ぬはずだった。生きたって証を残せたのに。それを奪ったんだよ」

ジョエル「もしも神様がもう一度チャンスをくれたとしても…俺はきっと同じことをする」

エリー「わかってる。多分…一生そのことは許せないと思う。でも…許したいとは思ってる」

ジョエル「それでいい」

エリー「わかった」

弦を抑えるための左手の指がなくなり、ジョエルに教えてもらったギターも満足に弾くことができなくなってしまった。ディーナとの関係が終わり、それぞれの物語がまた始まっていくのだろうか。振り返ってこのゲームのテーマはなんだったろうか。双方の立場を知ることで分かること、過去から続くことは決して消えないこととかだろうか。お互いの立場を知っていたら、どういう文脈で現在に至っているのかを知っていたら。多様性を標榜する現在の世界において、相手の立場を理解することはとても大切で、一方的にこちらの意見を主張することは相手との関係を終わらせることにもつながる。そういう情勢の沿ったテーマなんだろうか。

 

また数年後にLast of Us Part lllが出るとして、そうしたら、ジョエルとエリーの物語はまた続いているのか。