マレーグマの頭のなか

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ラスアス日記 一日目

 

街にゾンビ(キノコマン)が溢れかえった。主人公のジョエル(ヒゲ)が娘のサラと逃げる。さながらバイオハザードだった。サラがキノコマンじゃなくて人間に殺された。アンチャーテッドってこんなにカメラ操作に慣性ついてたっけ?素早く動かしたら妻が酔いそうになってた。すまん。

キノコマンの事変から20年経った。ジョエルがテス(関係が謎なイケジョ)といる。銃で数発もらったらしいがかすり傷。テスはロバートに顔に泥を塗られたらしいので、報復したいらしいので追う。やっぱこういうゲーム苦手だなと思いながら進む。ロバートはテスに殺された。ファイアフライってテロ組織?のマーリーンが出てくる。もうちょっと説明してくれ。ここで一日目は終了。

 

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The Last of Usをプレイしはじめた。2013年のGame of the Yearも取った名作と名高いゲームである。2013年に出た当時に僕はPS3を持っておらず、実況プレイ動画を途中まで見て、こういうアクションゲームは僕には向いてないなぁと漠然と思っていた。PS4を買ってからも、他のゲームをやるために買ったので後回しにしていた。

 

時は過ぎ2020年に続編であるThe Last of Us Part IIが発売された。なんとこちらも2020年のGOTYに選ばれている。個人的にはプレイしたGhost of Tsushimaに取ってもらいたかったが、それだけ面白いなら動画を見てやった気になるんじゃなくて実際にプレイしておこうと思ったのだ。

あと、腰を上げたきっかけの一つは、夏頃、妻が見ても面白い映画っぽいゲームをやろうということで同じ制作会社が出しているアンチャーテッドシリーズを3までやり終えた(4は途中でなんか違くて止めた)ことが挙げられるだろう。ノーティドッグといえばクラッシュ・バンディクーだったが、こういう映画とビデオゲームの間の子も面白いなと感じた。こういうの向いてないなぁという気持ちが薄れていた。

 

こういうゲームをナラティブゲームと呼ぶ(らしい。前はそんな呼ばれ方されてたっけ?)。ゲームにおけるナラティブが日本で持て囃されたのも2013年頃からではないだろうか。僕は2015年くらいから興味が出て調べた。辞書的意味では「物語」「語り」と訳されることが多かった今はどうだろうか。ナラティブという単語は文脈に応じて未だに色んな解釈があるのでこれといった説明ができないが、ゲームにおいては「ゲームを通して(主人公やキャラクターの目線で)物語を経験させること」だろうか。上記に書いた「映画とビデオゲームの間の子」はこれを表現している。

 

とはいえ、臆せずもっと簡単に言えば、「ゲームを通して」なのでゲームプレイした人じゃなくても隣に座って一緒に見ても楽しいゲームとも言えるだろう。自分がやりたいのもあるが、ゲームやってる暇な時間を共有できるように、妻のためにやると言っても過言ではないのだ。