マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ぼんやりした過去

 過去に、良心のあるマトモな大人からいただいた叱責のメールを、久しぶりに読んでいる。たまたま別のメールを検索しようと、「覚悟」と打ったところまさか自分が封印していた過去を掘り起こしてしまうとは。せっかく掘り返してトラウマも克服したのだから、これから先、このテキストは定期的に読み返していこうと思う。

 まともに読んだのはきっと、もらったその日だけだから、10年とかそれくらいぶりに目にしただろう。内容は僕を叱責するもの。それを公開するのは恥ずかしいし、書いていただいた相手に対しても申し訳ないので世に出すことはしない(”叱責” という言葉は「失策や怠慢などを叱り咎めること」なんですね。本当にこのメールの内容を表すのにピッタリな表現だ)。これを読んだとき、中学以来だろうか、恥ずかしさと自分の情けなさゆえ、顔に血が昇って心臓の鼓動が聞こえてきて、全身に重く負荷がかかったのをよく覚えている。また、今後どうしようという未来への不安を一人になってから初めて感じた。

 当時はこれを読んだ後、怒りなのか悲しみなのか分からない感情が自分の中にずっと滞留して二度とこのメールは見ないとまで思っていた。ただ、ここに書かれていることは全てが正しかったし、反論の余地もなく、お前はダメな側の人間なので申し訳ないが仲間に入れることはできないという趣旨の言葉はきちんと理解して受け取ることができた。

 今あらためて読んでみて、やっぱりまともな大人っているもんなんだなと思った。22歳のころの僕はその人のことも、僕がやりたいことも、僕がやりたいことをやれている人も、それを形作った社会も、そして僕自身のことも何にも知らなかった。10年後の自分が読んで、このメールの真の意味をようやく理解できた。22歳の若者の倍生きている彼が言葉そのもので傷つけることなく、きちんと返してくれたことに本当に感謝したい。