マレーグマの頭のなか

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何もない日は何もしない日

 休みの日の何もない日、そこで何もしない選択肢を取ってしまうことを毎度後悔しているが、直る気がしない。いや、正確には寝たり、インターネットでどうでもいい情報を得たり、NetflixAmazon Primeビデオなどで動画を見たり、ゲームをしたりなのだが、何もしていないと言っても差し支えないだろう。

 いつからそんな感じの過ごし方を覚えたのか、選択するようになったのか。

 遡ると、大学生で一人暮らしのときに家でやれることを選び続けた結果だろう。何故か、それは、お金がなかったからだと思っている。23区内に出るには自転車では遠く、電車で脱出するにも往復500円ほどかかるようなところにいた。バイトはしていたが、バイト自体そこまで好きじゃなかった。何にお金を使っていたというわけでもなく、月々15万にも満たない収入で暮らしていた。彼女はいたが、電車とバスで一時間掛けて行くようなところに住んでいたので、毎週土日に会うか会わないかくらいの頻度だった。会うことがメンドイなとも思っていた。

 元々ずぼらな人間だったんだろう。もっと小さい頃も思い出せば、土日に家族と以外で家を出ることはあまりなかったんじゃないだろうか。既にあまり覚えていないが。

 そういえば、当時カメラが好きだったとき、何もない日は知らない駅に行き、そこから適当に歩きながら町並みにシャッターを切っていた。それがあるキッカケを後にカメラを置くようになってから、本当にやることがなくなってしまった。犬を飼い始めてからリビングで落ち着くことができなくなって、リラックスしたいときは自然とベッドルームに行くようになってしまった。子供が出来てからのことが心配になるな。