マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

ゆっくり運転する

 

 イラッとすることに理由は必要なくて、イラッとさせないことには何かしらの理由が大きく関与する。

 理由が必要ないというよりも、自分と違うことが見えてしまえばそれはストレスの要因になる。同質であればイラッとすることはない。自分に対してイライラしていては生きていけないからだ。無意識下でコイツとは何かが違うなと思うだけでそれはストレスになるので、テキストにしたためるような理由は必要ない。

 高齢運転者標識こと枯れ葉マークの意味は「加齢に伴ってブレーキ踏むの遅れたりして危ないよ」以上のことは示していない。つまり、若い家族のバンによく貼ってある「赤ちゃんが乗ってます」マークとなんら変わりがない。それを国でやっているだけのことだ。どちらのマークもマイペースに運転しますという意思表示を行っているが、威力を示しているわけではない。追突した場合、より重い罰が生じますよというような。

 マイペースに運転すると、おおよそ速度表示灯通りの制限速度以内で走ることになる。すると、速度表示+30km以内くらいで走っている人(やめようね)にとっては、ただただ前に進むのが遅い車である。その後ろをついていかざるを得ない状況になると、それはその人にとってストレスになる。そこで前述のマークが免罪符となる。年寄りだから勘弁してな、赤ちゃん乗ってるから振動起きんように運転するわ。そうマークを物語らせている。相手と自分は違っているから、多少差が見えていても仕方ないなで済ませる余裕が生まれる。煽り運転するような輩にはそれが生まれないのだろうが、それはまた別のお話。ストレスの原因に対しては分かりやすい理由がなければ、自分を納得させることができない。無意識下で行われている選別をさせる前に、自ら主張し意識下へ引きずり込んで自分の土俵で相撲を取る。それがマークの役目である。

 と、ゆっくりと運転する父親を見て、早く枯れ葉マークつけないと因縁つけられるよと忠告した三が日だった。