マレーグマの頭のなか

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精神修行

 さくじつ、雪が降った。4年前の大雪以来の、約20cmも降り積もった。

 首都圏で雪が降るということは少なくとも経済活動を妨げる災害であって、交通網は麻痺し、飲食店の予約キャンセルは殺到し、履いている靴下は足先まで濡らしてしまう。僕ら大人にとっては決して喜ばしいことではないだろう。かといって、僕らは母のお腹から産まれてからすぐに大人になったわけではなく、高校入学くらいまで、おおよその ”なりたくない大人像” ができる頃までは総じて子供だった。だから雪が降ると、あの頃に雪が降ったときの楽しさを思い出すかのように少しだけ心がワクワクするような気がしている。

 家に庭がある。一人暮らしにしては贅沢な環境に住んではいるが、隣近所も住んでいるために特にBBQができるわけでもなく。夏には雑草が至る所に生え散らかし、冬には屋根から雪が落ちてくる「ドサッ」という音で声を出して驚かされる。生活の潤いは厄介者にみかじめ料を渡さないと与えられないのだ。昨夜はそんな庭で雪だるまを作った。

 雪だるまといっても、Twitterに流れてくるような立派なものではなく、高さ50cmくらいの小さなものだ。一人で寒い冷たいと嘆きながら作った。他人には「この際すごい雪だから楽しもう」なんて言っておきながら、滝行や護摩行をしているような辛さを味わっていた。楽しくなかったわけじゃない。ただ、無理して楽しんでいたように感じた。きっとそばに何かが誰かがいるだけで、違ったのだろう。自分の動機にコミュニケーションが必要なことは二度と変わらないのであろうなと作り終えた雪だるまを外に放置して、暖かい部屋と暖かい風呂と暖かい布団で一人を噛み締めた。