マレーグマの頭のなか

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読書感想文:イシューからはじめよ

「イシューからはじめよ」

 

 この本は半分以上課題図書的な感じで読んだ。課題と言っても会社からの厳命というよりも自分の中で早いうちに読んでおかなければいけない本の一つとして心の本棚にそっと仕舞ってあった。会社の移転祝いとして寄贈されて、誰かが持っていかないうちにサッと手に取った。前々からタイトルだけは知っていて、海外の訳本だと思っていた。日本人が書いていたためかくどい表現が無く、非常に読みやすく、明晰な文章でページをめくる度に首肯が止まらない。赤べこになれる。

 

 内容を雑に言えば、人の命は短いからバリューのあることだけをしよう、そしてそのためにはどのような心得を持たなければいけないのか、著者の仕事であったコンサルタントはどうやって人を説得しようとしているか、が書いてあった。ちょうど今仕事ではエディタに向わずにPowerPointとにらめっこしている自分にとってぴったりの書籍であったことは疑いなかった。

 

 そのうち情報収集についての項目の「一次情報に触れる」というサブタイトルのパラグラフについて首がもげるくらいに頷いた。10年近く昔にした痛い思いを、自分でも忘れていた記憶の奥深くから、泡ボコが上がってくるように浮いてきた。

 あれは大学2年生の、某大学のインカレサークルの広告研究会に入って二回目くらいの制作を考えていたときのこと、23区内のとある楽器屋と提携してそこの広告を作ることが課題だった。確か、マンダリンだったかウクレレだったか電気的でない弦楽器の一部が有名だった気がする。そして当時の僕らが無い知恵を絞って色々コンセプト出しとかをしたのだが、4班全てが高年齢層へ向けた広告グラフィックを作った。内々では、悪くないねーとかやっぱそういう方向性になるよねーなんて言いながら講評をした。しかし、その全てが大失敗だった。というのも、そこの楽器屋さんのメイン層は学生だったのだ。だからその楽器屋はそういうグラフィック広告を期待していたのにも関わらず、僕らは明後日の方向をゴールだと勘違いしていた。今考えるとブリーフの段階で間違っていた可能性が高いのだが、我々はインターネットや自分たちの中にあった考えだけで動いていた。僕はそのときに「楽器屋さんに直接聞くという当たり前のことが何故できなかったんだろう」と酷く落ち込んだのを覚えている。だからこの講評結果を聞いた時のことを忘れることが未だにできていない。

 

 今自分が何かを企画するときはなるべく当事者や関係者、既に道を通った人に聞くようにしている。自分がやってきたことだけが来ないことがコンサルではよくあることだから。そのやり方が間違ってなかった。自分が受けたショックが、間違っていなかったのが再確認できてよかった。それだけでも読んで良かったと思っている。もちろんそれ以上のことが得られた。

 

 分析の種別やそれを図式化する際に念頭に置いておくことなど、今まさに困っていたことが書いてあったりしてタイムリーだなぁと思いながら読み進めていた。後輩に今読めと言って渡している。早く読んで答え合わせをしたい。