マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

優しさの決闘

 バスで通勤している。東京で暮らしているのに電車通勤じゃないっていうのは意外と珍しいかもしれないけど、高校を卒業して以来10年経過して、理解したことは縦に移動したいならバスが最良の選択という事実だ。電車と違ってバスはあまり利用されていないような気がする。利用者の年齢層は割と高く、もう東京で根を張っている数十年経っただろう老人達が電車で押し潰されるのを忌避してゆったりとバスで目的地に向かっているように感じる。僕もその雰囲気が好きで乗っていると言うのも悪くはない。

 

 いつもの60番代のバスに乗り込んだ。仕事終わりに東急ハンズに寄ってペットの可愛いハリネズミのために紙ででいた床材を買い込んだ。リュックがパンパンだったが、重さはあまり感じなかった。僕はバスの奥まで詰めない人に対してあまりいい感情を持っていない。なので出入口付近に留まらずに率先して奥の方まで進んで向かう。奥は人が少ないので気も楽な面もあってそうしている。今日も同じように奥まで進んだ。つり革じゃなく、暖色の手すりの前がマイプレイスだ。と、いつものようにその前に陣取ったら、そこに座っている小太りの、いや、言い方はアレだが十分にデブの、ボーダーのシャツを着た人が一人で二人がけの席を占領していた。3DSを両手にして、何かゲームをしていた。

 

 別に座りたいという目線を送っていたわけではない。そもそも二人がけの席に1.5人分くらいの体躯を寄せて、余った0.5人分の隙間(空間というには広くはない)に自分のこれまた大きい肩掛けショルダーバッグを縦に置いていた。そんな隙間にわざわざ座ろうとするやつはいるだろうか。僕だって普通の人より痩せているとはいえ0.75~0.8人分くらいの尻の大きさだろうと思う。女性のズボンは履けるだろうが、キッズサイズではない。だからそのまま立っているのも特に問題はなかった。しかし、僕が目の前に居座った瞬間に彼はなんとその大きなショルダーバッグを自分の膝の上に乗せ始めたのだ。その行動は彼なりのマナーからなのか罪悪感からなのか分からないが、僕はひどく驚いたと同時にその行為を優しさと名付けた。

 

 多分他の乗客も驚いたと思う。いやそんなスペースに人は入らないだろうとか、オイオイオイ死ぬわアイツみたいな目で見られたと思う。それを遮るようにして自分のスマホだけを一点に見つめていた。実際に座ってみると、彼は足を開いて座っていたせいか、僕のお尻の3分の1、脚1本は明確に通路にはみ出していた。しかし、彼の優しさを受けない選択肢は絶対になかった。昔の剣豪はどんな相手でも果たし状を受けたら手を抜かず決闘を行っただろう。宮本武蔵になっていた。片手にスマホ、もう片方に心の余裕を持った二刀流の剣豪の誕生だった。正直言って狭かった。狭かったので早く降りてくれという一心で座り続けていた。彼の優しさと僕の意地が闘った10分間だった。

 

 僕の座右の銘に「囃されたら踊れ」というものがある。この言葉でググると自分の昔の日記が出てくるほどそこまでメジャーじゃないのかもしれないが、いい言葉だと思っている。「乗せられたらとことん乗ってやれ」ということだ。こういうのに優しさを感じるようになったのはいつだったからか分からないが、勝手に優しさを受け取って苦しさを感じるのも悪くない。