マレーグマの頭のなか

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京都・日常を切り撮る行為

先日京都に一泊三日で行ってきました。三日なのは深夜バス使ったので気持ち的に前日からスタートだったから。あんまり長くいられなかったし、かばんの荷物が重くて割としんどい思いをしたので次回行くときはもっと軽い格好で行くことにしよう。ここのところは京都で感じたことを書くと思います。

 

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■ 京都でスナップ写真を撮ることは難しい

 こんにちは、スナップ写真を大学時代に撮ってたけどもう撮ってない人です。

 スナップ写真って東京ではとても難しい趣味になりました。とはいっても10年くらい前までは特に何も考えずにカメラを構えてても平気だったんですが、最近はプライバシーとかに人々が敏感になってしまったのかカメラを首にかけてても怪しまれるようになってしまいました。自分の顔写真をSNSに上げまくってる人間がいる一方で、そういうのを拒むというのはなんだか歪な構造だなと思ったりもしますがそれはまた別の話です。

 京都は観光都市ということで、やはり道行く人達はだいたいカメラをネックレス代わりにかけてるようでした。みんな記念写真を撮るのでしょう。で、京都は四条烏丸のような交通インフラとしての大通りではなく、一本入った小路が非常に繊細で、いわゆる和の雰囲気を感じるような土壁と瓦屋根、石畳のようなフォトジェニックな雰囲気を持っています。そういうところに着物を纏った舞妓さんがいたら撮りたくなりますよね。だって京都に来ているんだから。

 ってのが一般の観光客の気持ちなんでしょうが、スナップ写真を撮る僕からしたら、いやただの天邪鬼なのかもしれない僕からしたら非常に面白くない写真に感じてしまうんですよね。だって京都に来ているんだもん。そういう写真が撮れるのは当たり前じゃないですか。つまんないじゃん。自分の非日常が他人の日常で、その逆があるとしても、僕は他人の非日常の土俵で相撲をとりたい。そう思うと途端にスナップ写真は難しくなるんですよね。ほぼどこを切り取っても”京都”である京都って場所で、”京都でなくてもいい場所”を切り取る行為に快感を覚えます。こういう京都もあったんだねって京都の人に言ってくれたら多分撮った甲斐があったなぁとしみじみできるんだと思います。

 

 ただ、今回はそういうのが難しすぎたのと左足小指のマメのせいでまともに歩けず、スナップ写真は撮れておりませぬことをここにお詫び申し上げます…ごめんなさい。