マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

名前のない海

予め伝えておくけれど、これから書くことは結論はない。何かを期待して読むと多分後悔する。

 

ある山に囲まれて、海に面した漁村に、一人の少年がいました。彼は、生まれてこの方、この村を出たことがありません。この村は特に教育機関もなく、そこの村に生まれた男は漁師に、女はその漁師の嫁になるだけの人生だった。

そこに、一人の旅人が現れた。彼は、この少年に、「この海はなんと言うんだい?」と尋ねました。少年は「海は海だよ、名前はない」と答えました…。

こんなことを、3年以上前に書いていた。

当時は『モノの全てに名前をつける必要はない。区別するため、誤解を避けるために固有名詞を付けている。”アレ”で伝わるなら、それが最も適切な名前なんだ』と言っていた。今だったら、この物語を読んで何を思うだろうか。

旅人には”アレ”というのは不適切な名前だった。きっと期待した答えがあったのではないか。ただ、それを知ったところで、現代ならばチェックインの時の検索程度にしか使われないだろうが。

太平洋という広い海がある。それを知っている人にとっては、千葉から見える広い海も、高知から見えるあの青い海も、宮崎から見える南国香るあの海も全て太平洋だと錯覚してしまう。

大きな枠を知ってしまうと細部のことを無視してしまう。包含関係にあるものごとを知った気になってしまう。そして、名前という情報のカタマリだけで知った気になる。自らが無知と気付くのには情報から逸脱して、身体に刻み込まなければならない。

3年前から何も変わってない。もう27歳になってしまったというのに。