マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

童貞は迫られている選択圧を捨てている

ん、最近ブログに書きたいことが全く無いぞ。

こういうときは自分のTwitterからつぶやいたことを引っ張り出してきて解説すると良いと、自分の脳内に住む霞を食べて生きている仙人から聞いた。とある事情によって自分のアカウントに鍵を掛けているので、埋め込みではなく引用で申し訳ない。

 

「「「 今日の名言は「童貞はフェラのシーンを飛ばす」ですね。 」」」

 

このツイートは、世阿弥の説いた「離見の見」を考えるために、池袋西口のガストで演出家の先輩と話しているときに出てきた言葉に深い感銘を受けてのものです。ちゃんとした話をしてたんです。神への信仰についてや腐女子が行うキャラ信仰は一神教に近い信仰だ、また、この世は選択圧にまみれている等々、真面目な話題をしているときに先輩から発せられた言葉でした。伊集院光がラジオで「ヘッドマウントディスプレイを付けてAVを見ていたら、藤井シェリーの潮吹きが顔にかかってしまうと思って、反射的に避けてしまった」という話をして爆笑したことも憶えています。池袋西口はほんとうに怖いですね。

 

とはいえ、この言葉は特異な性癖を持たないノーマルな男性なら誰しもがうなずくところじゃないでしょうか。学生当時は、行為に及ぶまでのインタビュー、果ては前戯まで飛ばしていました…。今ではそれを分かってしまったがゆえに、トータルで視聴時間が長くなって困っています。いや、そうじゃなくて、童貞は飛ばすんです。この奥ゆかしさを楽しむシーンを。童貞が故に。何故ならば、「良さ」を知らないがために。知らないからの一点で飛ばしてしまうんです。

 

僕はこの言葉を聞いて、分かる分かる。と思ったと同時に「俺はいろんな良さを知らずしてシークバーを動かしているんじゃないか。合気道の達人は殴られたときに、殴られた場所の痛みの時間軸を飛ばし痛みを感じないことができると聞いたが…いや、今の話には関係ないな。俺はもっと知るために様々な童貞を卒業しなければならない」とコンマ数秒でバチコーンと殴られた感覚でした。某鬼十則に加えようと提案されたけど、どれを捨てるかは悩みどころである。

 

そういえば今日はこんなのも読んだ。フェラシーン見るなんて馬鹿だよな!っていうより、飛ばす方がまだマシな気がしますね。