マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

数年前の夢のつづき

カメラで撮ったものが写真なのか

写真を撮るものがカメラなのか

不便だからモノを作ったのか

モノが不便になっていくのか

やる気があるからやるのか

やるからやる気がでるのか

鶏が先で卵が先なのか。よくそういうことを最近ふと考える。何かを見たから考えるのか、考えるから目に付くのか分からないけど、とにかく手を動かして、何か動けば解決されることだけは知っている。

 

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日々が、記号化していく。
 これは明らかに良くない兆候だとは薄々勘づいている。アルバイトと家と研究室の往復で、毎日見ている環境が記号化している。

 あれは、赤信号だから止まろうというような、当たり前で脳みそで考えていない、ほぼ反射のような生き方。良くないと自覚はしているが、「お、いつのまにかLEDに変わっているじゃん」とか「あ、なんかひとつだけ電球切れてるし、アハハ」とかいろいろなあんなところにこんなものがというアンテナが切れかかっている。一旦、外に出てスイッチを切り替えないと。

 自覚しているのはまだマシと思うかも知れないが、自覚していて直そうとしないのは、最低だと思う。大丈夫僕はバリサンでいきまする。

 

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りんごジュースがあんまり好きじゃない。嫌いじゃないけど、率先して飲もうと思わない。オレンヂ味があればそれを買う。好きじゃない理由は果物のりんごが好きだから。同じ理由でイチゴの香料ものは買わない。本物のほうが美味しいから。

 写真は好き。写っている現実の方が美味しいから?いや、そうじゃない。現実も面白いけど、写真を撮る行為も撮ったものを見る行為も面白い。本物のよりも美味しいという例もあるということだ、きっと。



 季節外れの桜が咲いていた。とは言ってもちょっと奇妙な感じだけど。

 

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何故この人はこんな非日常の格好をして、炎天下の中、誰が取るかも分からないチラシを配っていたのか。いや、配っているのが本質じゃない。なんでこんな格好をしているのか。何故、僕が住む調布ではなくて俗に言うヲタクの聖地秋葉原なのか。何故秋葉原はヲタクが集う街になったのか。自分の撮った写真から連鎖的に沢山の疑問が浮かぶのに、この秋葉原に居た時は一切注意していなかった。


 疑問は常に持ち歩く。直ぐにでもこぼれ落ちそうなそれをメモに書き取る、光景であればカメラに納めよう。以前にも言っているはずだけど、アンテナを張ろう。最近は感度が落ちているんじゃないか?

いかにも電気通信を習っているような言い草じゃないか。なんかいいじゃん。