マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

書きものは部分解なのだ。

 

「芸」

幅が広ければ、装飾を適度に。

幅が狭ければ、演出を適度に。

 

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「いいもの」

使う側が「こんな風につかうんかなー」ってのがすんなりいく。想像の範囲内であれば、スムーズに四肢が動く。また、こんなこともあろうかとみたいなものがちゃんと用意されていて、それをほとんど探さなくてもサジェストされるような機能。最も面白いときというのは自分が”ソレ”に慣れていく感覚。慣れきってしまったらつまらなくなってしまう。想像がついて楽しいもの、想像がついて楽しくないものの二種類。行動のつまらなさを補うものがストーリーやイベント、見た目の派手さなども該当する。

 

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「不便の壁」

コミュニケーション。言語。性別。

物理的な距離。時間的な制約。話題の捻出。

色盲、指が短い、舌足らず、運動音痴、音痴。

 

それらを感じさせてまでも見たいやりたいと思わせる。

 

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「あの日あの時あの場所で君に会ってるようで会ってない」

同じWebページを同じ時間に見るということの確率。

このページは現在「154人」の人が観ています。

彼らをいきなりハングアウトで繋いで驚かせたい、面白いかも。

インターネットはリアルタイムにインタラクションが出来るようになったかもしれないけれど、それによっていい事があったとか、面白いことがあったなんてことは自分の周囲でしか起こってないんじゃないか。

 

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「Web≠紙」

Webページが紙媒体に似ているのは、初期インターネットではajaxのような非同期通信の仕組みが整ってなかったからだと思う。最近、やっと紙媒体から抜け出してきたようなサイトが増えてきていると思う。リンクを押したら別ページじゃなくて、全部下にくっつけちゃえばいいんだよとか。戻るボタンってのは前のページにめくるという行為から抜け出してきた概念だから、ctrl + z のような戻り方をしてもいいと思うんだ本当は。Webサイトは見るものじゃなくて、利用者が作るものなのかもしれないと最近は思ってたり。

 

 

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「メモ」

結局物理的な距離をどうするのかという話な気もする。A地点をどうやったらB地点でも同じように感じることが出来るのか。例えば、それが嘘でも。

肌で感じることが本当ではないということはありえる。SRだってそうだ、視覚が半分嘘だって理解しているから、触覚や聴覚を何とか使って真実を追おうとしていたわけだけど、それすらも演出されてしまうと、どうしても虚構へと引っ張られてしまう。闇みたいだ。何も見えてないに等しい。

演劇は舞台に立つとそこに虚構が産まれてしまう。しかし、実際に目の前で行われているので、それを現実の延長線上と勘違いしてしまう可能性がある。

 

どうしようもない。視覚は正しくないかもしれない。聴覚はノイズをカットしている。嗅覚では自分の匂いを信じることは出来ない。味覚は思うようにはいかない。隣にいる安心感とは?五感が揃って初めてそれが現実だと思えるのか。