最高のものはどこかしらに最低なところがある。
しかし、よいものは、純粋なよさがある。
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見えないものを語ることは出来ない。
見えている部分で見えないものを想像することは出来る。
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自分が十数年も掛けて導いた結論が、そこそこの若造に悟られると
「まだ早い」などというような人にはなりたくない。
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先日、AKIRAを劇場で見ました。
25年前の作品とは思えないくらいの、いや、むしろ25年前だからこそ見える2019年の未来が描かれていました。映像はノイズやゴミの除去を、音響は当時無かったドルビーデジタルサラウンド5.1が使われていてこれらを映画館で流すためには非常に高価な機材を投入せざるを得ないらしいです。そんな幸運な上映会に参加できて非常に光栄でした。次回は2019年に出来れば、とのことでしたので、6年後、是非。
で、思ったのです。AKIRAを見て、思ったのです。
無駄に伸びたり縮んだりするグラフや、波を打ち続ける心電図のようなグラフ、波紋を広げるレーダー図……が見られる機材をふんだんに積み込んだ車。ああ…格好いい…。
レトロ・フューチャーのコンピュータは何故あそこまで現代の我々を惹きつけるのかと。ものすごく端的に申し上げると「意味のないデザイン」だからだと思う。僕らの周りには意味が多すぎる。当たり前だ。意味のないことなど売れないから、意味のないことなど存在価値を否定するのは容易いからだ。