マレーグマの頭のなか

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記号とそのファンタジー性

 

 

様々な言葉を知ることで、名付けられた意味が分かり、現象の理解が促されることがある。

 

 

小さい頃の話。

僕が初めて買ったスーパーファミコンのカセットは「FINAL FANTASY Ⅴ」だった。僕が小学校Ⅰ年製のとき、SFCが出てから数年後のことだ。

FF5は序盤に隠し通路があり、そこに「フェニックスの尾」というアイテムが手に入る。そのアイテムは戦闘不能がから生き返るという再序盤から終盤までずーっと使えるアイテムだ。まぁ、そんなことはいいのだが、僕はこのアイテムの「意味」がわからなかった。

 

というのも実は表記が「フェニックスのお」だったのだ。

小さい頃の僕は「フェニックス脳」だと思っていた。そもそも何故フェニックスなのか、フェニックスとは何なのかすらも分からない。FFには色んな「意味を知れば分かる」言葉がある、「ライジングサン」「ポーション」「イフリート」などなど…死ぬほどある、というか殆どのカタカナ語は背景知識を知ってこそ分かるものばかりだ。

 

僕はそれらの言葉を記号と見なし、使っていた。「ポーション」はHPを100回復するアイテム。「イフリート」は召喚獣で炎で全体に攻撃する人。「ライジングサン」は赤いものが敵に向かって投げられてダメージを与える武器。

 

今、それらの言葉を見ると、全く変わってくる。

「ポーション」はpotionだから飲み薬だから、HPが回復するとか

「イフリート」はイスラム教かどこかの魔神で、炎は後付け設定が引き継がれているとか

「ライジングサン」rising sunだから日の出って意味で赤い円月輪とか…。

 

僕らはいつからその記号を言葉として認識できるようになったのか。

僕がゲームに覚めてしまったのは「それ」に気付いてしまったからなのかもしれない。

自分の知らない言葉への憧れがある。どういうことなんだろう、それだけでわくわくする。

ファンタジーとは自分の知らないもので構成されているからファンタジーだ。

現実世界の人間が作っている証左がそのゲーム自体の中にある。

それに気付いた時、ゲームが他愛もない現実の延長ということに気づく。