マレーグマの頭のなか

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結婚と田舎のともだち 後編

 

続き

 

 あーえー。長くなっちゃった。

 

 友達が多いと思っていたけど、僕も誰かを呼ぶかといえば、どうしようもなく困る。結婚式に呼んでも良い友達、呼ぶまではいかないけど仲の良いだろう友達、呼んだら来てくれるだろう友達…。ふぅ~む、大学の友達は最近まで交流があったので気軽に呼べるかもしれないけど、高校まではなんとか…いやしかし確かに中学の友達は呼びづらい…。

 

 そもそも何故呼びづらいのかなーと考えた。

 

 1.単純に交流が少ないから。

 まぁさすがに7年会ってなかったりすると、呼べない。いやでもさ、なかなか本当に仲が良かったら呼べる気がする。図々しいかもしれないけど、呼べる。きっと呼べる。あ、あれかな。今だったら結婚する前とかにFacebookとかTwitterとかを通じて急に連絡とってきたりするような奴が出てきたりするのかな。

 

 2.配偶者のことを知らないから。

 確かに友人の配偶者とはいえ、知らない人のことを祝うことは難しいことが気がする。いや、まぁ友人に対して祝うんだから別にそこら辺は考えなくてもいんじゃ無いかとも思うけどね。うん。あとあれだ、配偶者の友人群が分からないよね。こいつらはどこまで下ネタを言っていいものなのか。どこまで踏み込んだらアウトなのか。友人側とはどういう関係なのか…みたいなのが分かんないし。そういうのを可視化できるようなサービスがあれば面白いのかもね。Google Glass のアプリとかで出てきそうだなw結構便利そうだw

 

 3. 既に背景・文脈が違うから。

 会いづらい。それはつまりバックグラウンドがもう自分と全く違うからである。

 僕の高校はいわゆる進学校だ。とある都道府県で上位5位、公立では1位の高校を出ている。これだけでバレる可能性はあるけども、あんまりここらへんは気にしないでください。そして、中学は普通の公立中学なので9割の人間は「僕の中での」普通以下の高校、大学へ行っている。さらに言えば、その中のほとんどが県内の大学に進んでいる。すると既に7年間以上住んでいるとすでに文化的な背景が違うよねーと。

 すると、話が合わない。

 簡単に言えば、先ほどの友人側の踏み込んでいいラインが分からない。うぇーいwww系の人間と真面目な人間とヲタクな人間は会う次元が違うと言ってもいい。少なからずどの領域にも足を踏み入れている僕のような人間だから逆に分かる。それぞれに対して接し方を変えなければいけないのだ。

そうすると、疲れる。選ぶ側も疲れるのだ。荒れている中学に通い、進学校に行き、国立大学に行けばそれぞれから30人ずつ集めると、相容れない人間達が集う。

 

 僕はこの3番目がとてもきついと思っている。

 コミュニケーションをとるために準備が必要なのは大変だ。新郎新婦が楽しめればそれでいいけど、緊張が伴うコミュニケーションは出席者にとって苦痛だ。それを取り除くのがきっとウェディングプランナーのお仕事なんだろう。頑張って欲しい。

 

 

 逆に、彼らがなんだったのかを分析すると、自分というものがなんだったのかってのが大いに分かるような気がする。非常に面白い。周りを囲むものでその輪郭が形成されていく。今度結婚式に呼ばれたら、考えてみよう。出席者が新郎新婦たちを司っているかどうか。