マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

僕は日々、写真を撮っている。

それをFlickrに上げて、FacebookTwitterなどに繋げてviewを増やして、他人に見てもらい、評価を貰うことで喜びを得ている。

一日に3枚程度アップロードし、Facebookにはそのうち2枚をアップロードしたので見て下さいね。と橋を架けて見てもらっている。

そう、そのうち1枚はわざとFacebookに共有しない。すると、どれだけの人数が僕の写真に興味を持っているのかが分かる気がして。

ま、殆どの人は見ないんですけどね。大体、共有したものが30viewくらい、共有していないものが3viewくらい。10分の1くらいの人数がいればいい方で、0なんてのもたまにある。

情報は、そこにあるだけでは何も意味を成さない。いや、意味はあるが、誰にも影響を与えない。誰にも影響を及ぼすことのない情報は存在する意味があるのだろうか、存在する意味は影響を与える可能性という未来への意味があるが、それは現在にとっては意味のないものと言っても過言ではない。

情報は露出してこそ価値が出る。だから広告代理店やマスメディアなどが跋扈しているのだ。情報とは物体、物体ではないもの、概念などこの世にあるもの全てに付与されている。それを効率良く広め、記憶に残し、情報を応用してもらう。全ては繋がって、見られる準備をしなければイケない。見る準備をしなければイケない。