マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

とにかく嫌いだ。文章を書くことが。ただ、それが少し、変わってきた気がする。

何故ならば、ノートパソコン、いや、パソコンというと怒られるので正式に言うと、MacBookAirを買ったからなのだ!これは素晴らしいですね、なんというか痒いところに手が届く孫の手というか、車を運転してたら全ての信号機が青に直前で変わるような前方の快晴感、そして、何よりもかっこいいこのボデー!これだけついて、96000円!もう一度言いますよ、96000円でのご提供になります。という具合に、このMBAは素晴らしいのだ。

ずっと使ってるデスクトップのPCは、5年目に突入し、マザーボードボタン電池は電池が切れて内部時計と再起動が頻発し、キーボードは自分の食べかすや皮膚で汚れ、スピーカーは緩んで音が歪んでいる状態で、どうにかして、このネット環境を快適にしたい!憧れのPCライフを!と思っていた。そんな折、一緒におもろいiPhoneアプリを作らないか?という提案があり、「なるほど、じゃあ、買いましょうか!」という一蓮托生モードに入ったので、恥ずかしながら6回払いでこれを購入。完全に遊び道具になっているのであった…。いやいや、がんばりますよ。きちんと。

 

なんか、まともなことも書きたいな。

 

ある山に囲まれて、海に面した漁村に、一人の少年がいました。彼は、生まれてこの方、この村を出たことがありません。この村は特に教育機関もなく、そこの村に生まれた男は漁師に、女はその漁師の嫁になるだけの人生だった。

そこに、一人の旅人が現れた。彼は、この少年に、「この海はなんと言うんだい?」と尋ねました。少年は「海は海だよ、名前はない」と答えました…。

 

みたいな話がありまして。つまり何が言いたいかといいますと、名前を付ける必要のないものが世の中にはあるのではないかと。彼にとっては、海は海であり、他の同じような海と区別する必要がない。海がもしも漁村の北と南にあった場合、それを区別するために名前をつけることで、村民たちの誤解を避ける必要があるが、必ずしも名前をつける必要性はない。あれ、で伝わればあれでよいし、あれで伝わらなければ、日本海や太平洋という名前をつける。実はそれだけのことなのではないかと、最近は思った次第であります。

特にまともなことかどうかはわからないのですが、ちょっとした最近思ったことを、書き散らしてみました。