マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

まともなメール

 

 まともなメールの文面が書けるようになったのはいつごろだったろう。最近、有名コピーライターが「大学生が名前も要件も書かずに作文を送ってきてキレた」みたいなことを書いて話題になっていたが、僕も大学生の頃はメールが書けなかった。お作法を知らなかった。

 お作法を知ることは大事だが、教えてくれる人がいないとお作法は分からない。”まともなメールの文面”は、要するに我々が社会的に共有しているプロトコルだからだ。社会に出たばかりの大学生や新社会人はそれを共有していないのは当たり前。だから年長者がマニュアルやテンプレートを作って教えてあげる必要がある。何度かメールのやり取りをすれば、どういうルールで書くのかが分かるはずだ。

 僕がメールを書けるようになったのも、おそらく社会人になってから数年後、いやはっきりと ”まともなものが書けるようになった” と自覚したのは2年前だ。ディレクターとして様々な人とやり取りを毎日のようにするようになってからだ。それまでは破茶滅茶なテキストをしたためて、それを得意先の担当者に送っていた。

 そういえば、先日結婚し、そのときのお礼状を目上の方に送る必要を迫られているのだが、その文面もまた、メールとは違うので困っている。敬具とか時候の挨拶やら耳慣れない書き慣れないお作法に僕はうんざりしている。そして、手書きでなければならない。くぅー。つらい。きっと大学生の時もそんな感じでメールを書いていたんだろうな。できることが増えたからといって、できない人たちに対して横柄な態度や上から目線で接することはしたくない。なるべくならマニュアルを整え、テンプレートを用意するような大人になっていたいものだ。

20190624

 

 特にオチも筋もなにもなく、書きなぐりたい。

 

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 「マウンティング」という言葉が流行って、そこかしこで目にするようになった。似たような言葉に「上から目線」があるだろう。実は最近まで言葉の意味は知っていたとはいえ、実感としてなかった。「これらの言葉を使う人は、結局相対性の中でしか生きていけないということ」。これらの言葉を端的に表している。

 実は「上から目線で話さないで」とは、稀に言われていた。ただ、そのことに対して、どうして「マウンティング」の状態が起こっているのか、そして怒っているのかが理解できていなかった。しかし、なんとなく分かった。その言った言われたの事象よりも、周辺のことが大事だと思っているからだ。

 知らないこと、知っていることを授受するよりも大事なこと、それが彼らにとってのメンツだ。知らないことを教えられることは、知らなかった事実を馬鹿にされているのと同じと変換されているのだろうか。メンツは自分のものなら捨てる、他人のものなら大事にする。ヤクザ映画ではそうじゃなかったのか。

FF7をやり始めた

 

 E3でFF7リメイクの発売日が発表された。それに触発されてFF7をSwitchでダウンロードしてやり始めた。PS4でやらない理由は、ゲームをやってたら飼い犬に邪魔されてしまうのでお風呂、トイレ、ベッドとどこにでも逃げられるようにするためだ。あいつ自分に構わないと、すぐ攻撃してくるからな。

 

 初めてFF7をプレイしたのは少し遅くて、小学校高学年くらいだったか、高校に通っていた姉が友人から借りていたディスクを、勝手に借りてやっていた。複数枚ディスクのゲームは初めてだったので、最初にDisc3を入れた。当時はよく分からないストーリーながらも、全クリしたのを覚えている。なんかゴリ押ししたら勝っていた。そして、Disc3の最後のダンジョンでセーブしてしまったことを未だに後悔している。FF7でラスダンから戻れなくなる罠を知った。メモリーカードのスロットも有限(15スロット)で、姉との共有だったので貧乏性の僕は複数セーブということを考えもつかなかった。

 

 大学時代にFF7シリーズでいくつか複数メディアでゲームが展開された。確かいくつかあったけど、映像だけの後日譚(FF7AC)と、ガラケーのゲーム(タークスの何か)とPS2のシューティング(FF7ダージュオブケルベロス(やってない))と、PSPアクションRPG(FF7CC)の4つだと思う。不安だったのでWikipediaで調べたらまさにその通りで自分の記憶力の良さにビックリした。
 FF7ACは当時コンビニで買えるみたいな宣伝をよくしてた記憶がある。なのに実はまだ見ていない。今見るとCGの粗さとか気になっちゃうんだろうな。FF7のポリゴンは逆に愛くるしく感じるので全然問題ない。リメイクのCGは本当にキレイ。現実の人間なんじゃないかってくらい毛穴がしっかりと描画されてるけど、髪型はあのままなのでなんだかちょっと可笑しい。

 

 当時はなんでこんなにFF7のスピンオフを同時期に出すんだろうと思ったけど、中学生のときにドハマリしたFF7のスピンオフを、僕よりちょっと上の世代が社会人になってお金を持ち始めたし、その層の購買意欲をバンバン刺激したら売れるよね!って感じだったんだろう。現にめっちゃ売れたと思う。
 コンビニにポーションが売ってたのもあったな。書きながら当時を思い出す。あれめっちゃ不味かった記憶がある。あれ、でもあれって高校の時だったかも…。って思ってこっちもWikipediaで調べたら、高校の時も存在していたし(FF12記念)、FF7リバイバルのときも外側をチェンジして再発売してたみたいで、こっちも記憶がしっかりしていた。

 

 PSPで発売されたFF7 CCは買って、ドハマリした。PSPのゲームは5本位しか買わなかったけど、一番やった。あーこういう物語というか辻褄だったのね。ってFF7のあのまどろっこしいお話が、キレイな動画でクリアになったのを覚えている。主人公も鬱屈とした感じじゃなくててカラッとしててよかった。あとアクションバトルが結構面白かった。またSwitchとかに移植されないかなー。PSPのゲームって割とそのまま封がされてる気がする。小学生には難しかったよ。実際やってみると、ちゃんとストーリーを説明されているんだけどね。

 

 とりあえず、FF7リメイクが楽しみだし、今やってるFF7の改めて面白い。2020年のゲームは豊作な年になりそうな予感がある。いやーまだまだ死ねないね。

20190606

 

 最近は気が滅入るような事件が多く、どのニュースを見ても暗めな話ばかりでなかなか気持ちが上がらなかった。でも、昨日の山里亮太蒼井優の結婚はめちゃくちゃテンション上がったし、結婚会見はとても良かった。ああいうのが見たいんだよな。

 

 何が良かったんだろう。

 確かに、蒼井優が照れてる様子にキュンキュンしたり、記者の意地の悪い質問に対して山ちゃんがすぐに手を差し伸べたりとかもある。でもYouTubeに上がっている全編を見ていて思うのは、山ちゃんが面白おかしく説明してくれてるところかな。かつそれがやっぱり演じている山里亮太じゃなくて、普段の山里亮太に限りなく近い人物像なんだろうな。あの人はあの喋り方で、あの振る舞いがもう身にしみていて、それを誰にでもどんな場所でもできる。なんか僕の中での理想でもある。だから良かったんだろうな。着飾らず、素のままに近い状態を人様に晒すことはなかなかできない。

 

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 前半年の目標が「周囲からの信頼を得る」ということだった。ディレクターとして働く上で最も大事な物が信頼だと思っているので、新しい会社に入社した昨年、スキル以外何も持たない状態からスタートした僕は信頼を得ることが第一優先だ。

 とりあえず、前半で思った以上に信頼を得ることができたように感じる。それは自分に直接依頼が来るお話とか、案件のリピーターとして同じ担当者から声が掛かったり、会社を上げて改善していくようなプロジェクトに名指しで入れてもらったりと、たった半年ではあるけど頑張れた気がする。ある程度はよくやったよ。

 結構手は抜いた部分もあるけど、自分のペースで仕事できたってことだよな。んで、次の半年は何を目標にして仕事に力を入れていこうかなーって考えると、難しい。そこから先を具体的に考えることが難しい。ただ、改善プロジェクトにあてがわれたというのは、光栄なことで、それで自分の力を発揮できるように動けば自然と会社のためになっていくような気がしている。

 ただ、それを完遂することを目標にするのも結構怪しい部分があるので、別に持っておきたい。なんだろうな。せっかく大きな会社(俺比)に入ったんだから、もっと大きな仕事をしてみたい。大変だろうけど、大きな仕事。規模だったり、予算も大きい、人もたくさん、アーキテクチャも複雑で、社会に与える影響も大きい。そんな仕事に関わるための礎にするための半年にしたい。来年、年が明けるころに、そういう仕事が舞い込んでくるような振る舞いができれば良い。

 そういう感じの半年にしていきたい。

20190528

 

 なんか書くことあるかな。最近、友人が成長について悩んでいた。

 「自分としては転職をする理由は成長をするため。しかし、転職活動が上手くいかないためにネガティブな思考に陥ってしまった。別に生きる上では成長が必ずしも必要じゃないし、今の会社にも大きな不満はないし、どうしようかなと思い始めてきた」と言っていた。

 

 他の友人はそれに対して「特別になりたいわけじゃなければ成長はいらない。俺はどちらの生き方も正しいと思う」「自分の評価や他人と比べたときの評価を汲んで決めると良いかもね」「成長するか成長しないかじゃなくて、選択を自分で下して正しいと信じられるかが大切」

などと言っていた。確かに。

 転職を3回ほどしている僕から言わせれば、一つの会社にずっといられることは割と幸せだと思う。いられるならずっと同じ場所にいたかった。同じ場所に居続ける安心感はすごい。楽だから。楽に生きられることはすごくいい。多分脳に良い。何も考えなくてもいい。親が資産家で遊んで生きることが僕の最大の幸福だと思う。できることならば、そうありたかった。地球の裏側くらいの縁遠さだが。

 ふと考えると、僕らは職に就くまでに転職のようなことを強制的に何度かしている。それは小中高大と自分の器と比較して鞍替えをしていたことだ。考えるとヤドカリみたいだな。自分の収まるべき器はどこなのか。受験は器と真実の姿を天秤に掛けていたようだ。

 

 しかし、器がすっぽりと自分を覆い包んでくれても、モヤモヤが晴れない人はたくさんいる。それは楽に流された人たちだ。何も考えずに器を決め、器に収まった人。つまり僕もその中に該当するのだが、楽に流れるとモヤモヤは心に滞留する。

 どうすれば解消できるか、友人の言葉にもあるが、それは自分で選択することだ。それ以外にはない。選択するためには根拠が必要だ。根拠のない選択は、後悔を生む。誰か、何かに責任をなすりつけるようになる。鉛筆を転がしてした決断を鉛筆のせいにする。なんとなくで決めた決断は雰囲気のせいにし、その場にいた人のせいにする。根拠は自分の中に持っておく。

 根拠は何か、それは自分がどうなりたいか、どうありたいか。自分のビジョンだ。そのビジョンに向かって必要な成長ならば、それを取る決断をする。ビジョンのためには必要のない成長なら切り捨てる。ビジョンは決断ができる根拠になる。

 

 今の僕のビジョンは本当にしょうもないものなので、ここに書くことはしないが、それは若い時だと通用しないと思う。具体性が乏しいからだ。若ければ若いほど具体的で、大きく人類規模で、キラキラしている方がいい。本田圭佑も言っていた。彼はビジョンとそれを達成するための覚悟が大きければ大きいほど実現可能性が高いとも言っていた。

 僕のように若者と中年男性の狭間の人間は、腕を広げた精一杯の関係からどうするかを考えた方がよい。抽象的で、手の届く範囲からできることで、おもしろおかしい方がいい。特におもしろおかしいというのは大事で、楽しい方を選ぶことでやはり楽しい人生を歩めると思う。

 

 これを友人が読むかは分からないが、転職や昇進、結婚とかいろんな決断があると思うが、根拠を自分の中に持った方が幸せになれると思う。俺は楽しい方を選んだ。一人暮らしよりも二人暮らしの方がきっと楽しいと思ったから大変だったけど結婚をした。いつも9時起きで早起きは嫌だが楽しそうだから犬を飼った。朝起きるのは大変だ。それでも俺の思うビジョンに俺は向かっているように思う。後悔はしていない。友人にもたくさん悩むと思うが、頑張ってほしい。

 

 最近は同じことしか書けてないが、結局書くことがないといつも考えてることだけになってしまうってことだ。