マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

FF7をやり始めた

 

 E3でFF7リメイクの発売日が発表された。それに触発されてFF7をSwitchでダウンロードしてやり始めた。PS4でやらない理由は、ゲームをやってたら飼い犬に邪魔されてしまうのでお風呂、トイレ、ベッドとどこにでも逃げられるようにするためだ。あいつ自分に構わないと、すぐ攻撃してくるからな。

 

 初めてFF7をプレイしたのは少し遅くて、小学校高学年くらいだったか、高校に通っていた姉が友人から借りていたディスクを、勝手に借りてやっていた。複数枚ディスクのゲームは初めてだったので、最初にDisc3を入れた。当時はよく分からないストーリーながらも、全クリしたのを覚えている。なんかゴリ押ししたら勝っていた。そして、Disc3の最後のダンジョンでセーブしてしまったことを未だに後悔している。FF7でラスダンから戻れなくなる罠を知った。メモリーカードのスロットも有限(15スロット)で、姉との共有だったので貧乏性の僕は複数セーブということを考えもつかなかった。

 

 大学時代にFF7シリーズでいくつか複数メディアでゲームが展開された。確かいくつかあったけど、映像だけの後日譚(FF7AC)と、ガラケーのゲーム(タークスの何か)とPS2のシューティング(FF7ダージュオブケルベロス(やってない))と、PSPアクションRPG(FF7CC)の4つだと思う。不安だったのでWikipediaで調べたらまさにその通りで自分の記憶力の良さにビックリした。
 FF7ACは当時コンビニで買えるみたいな宣伝をよくしてた記憶がある。なのに実はまだ見ていない。今見るとCGの粗さとか気になっちゃうんだろうな。FF7のポリゴンは逆に愛くるしく感じるので全然問題ない。リメイクのCGは本当にキレイ。現実の人間なんじゃないかってくらい毛穴がしっかりと描画されてるけど、髪型はあのままなのでなんだかちょっと可笑しい。

 

 当時はなんでこんなにFF7のスピンオフを同時期に出すんだろうと思ったけど、中学生のときにドハマリしたFF7のスピンオフを、僕よりちょっと上の世代が社会人になってお金を持ち始めたし、その層の購買意欲をバンバン刺激したら売れるよね!って感じだったんだろう。現にめっちゃ売れたと思う。
 コンビニにポーションが売ってたのもあったな。書きながら当時を思い出す。あれめっちゃ不味かった記憶がある。あれ、でもあれって高校の時だったかも…。って思ってこっちもWikipediaで調べたら、高校の時も存在していたし(FF12記念)、FF7リバイバルのときも外側をチェンジして再発売してたみたいで、こっちも記憶がしっかりしていた。

 

 PSPで発売されたFF7 CCは買って、ドハマリした。PSPのゲームは5本位しか買わなかったけど、一番やった。あーこういう物語というか辻褄だったのね。ってFF7のあのまどろっこしいお話が、キレイな動画でクリアになったのを覚えている。主人公も鬱屈とした感じじゃなくててカラッとしててよかった。あとアクションバトルが結構面白かった。またSwitchとかに移植されないかなー。PSPのゲームって割とそのまま封がされてる気がする。小学生には難しかったよ。実際やってみると、ちゃんとストーリーを説明されているんだけどね。

 

 とりあえず、FF7リメイクが楽しみだし、今やってるFF7の改めて面白い。2020年のゲームは豊作な年になりそうな予感がある。いやーまだまだ死ねないね。

20190606

 

 最近は気が滅入るような事件が多く、どのニュースを見ても暗めな話ばかりでなかなか気持ちが上がらなかった。でも、昨日の山里亮太蒼井優の結婚はめちゃくちゃテンション上がったし、結婚会見はとても良かった。ああいうのが見たいんだよな。

 

 何が良かったんだろう。

 確かに、蒼井優が照れてる様子にキュンキュンしたり、記者の意地の悪い質問に対して山ちゃんがすぐに手を差し伸べたりとかもある。でもYouTubeに上がっている全編を見ていて思うのは、山ちゃんが面白おかしく説明してくれてるところかな。かつそれがやっぱり演じている山里亮太じゃなくて、普段の山里亮太に限りなく近い人物像なんだろうな。あの人はあの喋り方で、あの振る舞いがもう身にしみていて、それを誰にでもどんな場所でもできる。なんか僕の中での理想でもある。だから良かったんだろうな。着飾らず、素のままに近い状態を人様に晒すことはなかなかできない。

 

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 前半年の目標が「周囲からの信頼を得る」ということだった。ディレクターとして働く上で最も大事な物が信頼だと思っているので、新しい会社に入社した昨年、スキル以外何も持たない状態からスタートした僕は信頼を得ることが第一優先だ。

 とりあえず、前半で思った以上に信頼を得ることができたように感じる。それは自分に直接依頼が来るお話とか、案件のリピーターとして同じ担当者から声が掛かったり、会社を上げて改善していくようなプロジェクトに名指しで入れてもらったりと、たった半年ではあるけど頑張れた気がする。ある程度はよくやったよ。

 結構手は抜いた部分もあるけど、自分のペースで仕事できたってことだよな。んで、次の半年は何を目標にして仕事に力を入れていこうかなーって考えると、難しい。そこから先を具体的に考えることが難しい。ただ、改善プロジェクトにあてがわれたというのは、光栄なことで、それで自分の力を発揮できるように動けば自然と会社のためになっていくような気がしている。

 ただ、それを完遂することを目標にするのも結構怪しい部分があるので、別に持っておきたい。なんだろうな。せっかく大きな会社(俺比)に入ったんだから、もっと大きな仕事をしてみたい。大変だろうけど、大きな仕事。規模だったり、予算も大きい、人もたくさん、アーキテクチャも複雑で、社会に与える影響も大きい。そんな仕事に関わるための礎にするための半年にしたい。来年、年が明けるころに、そういう仕事が舞い込んでくるような振る舞いができれば良い。

 そういう感じの半年にしていきたい。

20190528

 

 なんか書くことあるかな。最近、友人が成長について悩んでいた。

 「自分としては転職をする理由は成長をするため。しかし、転職活動が上手くいかないためにネガティブな思考に陥ってしまった。別に生きる上では成長が必ずしも必要じゃないし、今の会社にも大きな不満はないし、どうしようかなと思い始めてきた」と言っていた。

 

 他の友人はそれに対して「特別になりたいわけじゃなければ成長はいらない。俺はどちらの生き方も正しいと思う」「自分の評価や他人と比べたときの評価を汲んで決めると良いかもね」「成長するか成長しないかじゃなくて、選択を自分で下して正しいと信じられるかが大切」

などと言っていた。確かに。

 転職を3回ほどしている僕から言わせれば、一つの会社にずっといられることは割と幸せだと思う。いられるならずっと同じ場所にいたかった。同じ場所に居続ける安心感はすごい。楽だから。楽に生きられることはすごくいい。多分脳に良い。何も考えなくてもいい。親が資産家で遊んで生きることが僕の最大の幸福だと思う。できることならば、そうありたかった。地球の裏側くらいの縁遠さだが。

 ふと考えると、僕らは職に就くまでに転職のようなことを強制的に何度かしている。それは小中高大と自分の器と比較して鞍替えをしていたことだ。考えるとヤドカリみたいだな。自分の収まるべき器はどこなのか。受験は器と真実の姿を天秤に掛けていたようだ。

 

 しかし、器がすっぽりと自分を覆い包んでくれても、モヤモヤが晴れない人はたくさんいる。それは楽に流された人たちだ。何も考えずに器を決め、器に収まった人。つまり僕もその中に該当するのだが、楽に流れるとモヤモヤは心に滞留する。

 どうすれば解消できるか、友人の言葉にもあるが、それは自分で選択することだ。それ以外にはない。選択するためには根拠が必要だ。根拠のない選択は、後悔を生む。誰か、何かに責任をなすりつけるようになる。鉛筆を転がしてした決断を鉛筆のせいにする。なんとなくで決めた決断は雰囲気のせいにし、その場にいた人のせいにする。根拠は自分の中に持っておく。

 根拠は何か、それは自分がどうなりたいか、どうありたいか。自分のビジョンだ。そのビジョンに向かって必要な成長ならば、それを取る決断をする。ビジョンのためには必要のない成長なら切り捨てる。ビジョンは決断ができる根拠になる。

 

 今の僕のビジョンは本当にしょうもないものなので、ここに書くことはしないが、それは若い時だと通用しないと思う。具体性が乏しいからだ。若ければ若いほど具体的で、大きく人類規模で、キラキラしている方がいい。本田圭佑も言っていた。彼はビジョンとそれを達成するための覚悟が大きければ大きいほど実現可能性が高いとも言っていた。

 僕のように若者と中年男性の狭間の人間は、腕を広げた精一杯の関係からどうするかを考えた方がよい。抽象的で、手の届く範囲からできることで、おもしろおかしい方がいい。特におもしろおかしいというのは大事で、楽しい方を選ぶことでやはり楽しい人生を歩めると思う。

 

 これを友人が読むかは分からないが、転職や昇進、結婚とかいろんな決断があると思うが、根拠を自分の中に持った方が幸せになれると思う。俺は楽しい方を選んだ。一人暮らしよりも二人暮らしの方がきっと楽しいと思ったから大変だったけど結婚をした。いつも9時起きで早起きは嫌だが楽しそうだから犬を飼った。朝起きるのは大変だ。それでも俺の思うビジョンに俺は向かっているように思う。後悔はしていない。友人にもたくさん悩むと思うが、頑張ってほしい。

 

 最近は同じことしか書けてないが、結局書くことがないといつも考えてることだけになってしまうってことだ。

20190516

 

 最近はよくサボる。16時くらいになっても仕事に進捗が無さそうだなと思ったら、外に出る。そのままオフィスに戻らず、バッティングセンターに行ったり、家に帰ったりすることもある。なんとなく悪いことをしているように感じるが、弊社は裁量労働制を布いているので、何も行動自体に問題はない。罪悪感や背徳感がある気がするだけで、仕事はちゃんとしているので問題ない。

 

 サボると大体いつもと違う道を通る。不思議といつもは通らない道を選択する。ああ、ここはここと繋がってたのか~と新しい発見があるのがよい。いつもは北側からこの道を見ていたけど、南側から見るとこんな感じなのか~みたいな気持ちよさもある。

 サボるといつもの道が微妙に違って見える。こんな時間にここを通ると怖いお兄ちゃんおるんじゃなとか、日中って意外と若い人多いんだなとか。サラリーマンを箱詰めした電車の往復だと見えないものも多い。働いてる人と足並みを揃えないことが、働いてる人以外を知る方法だ。

 

GW前後総決算

 

 4月中盤からGW明けまで仕事もプライベートも忙しく、日記を書くような暇がなかった。いや、あったけど面倒になっていた。久々に一ヶ月以上も書かなかった。ということで、とりあえず、時系列に日記を書く。

 

1. 4月頭の日曜日

 暇だった。確か暇で、やることがないねーなんて土曜日の夜に言っていたのをなんとなく覚えている。

 我々夫婦は元々新婚旅行が終わったらビーグルを飼う予定で、各地のビーグルのブリーダーを巡るつもりでいた。しかし日課である可愛いビーグルパピーを探していたら、東京郊外のペットショップに気になってしまう子がいた。

 まぁ暇だし、行ってみるかと思ったのがダメだったっぽい。めちゃくちゃ可愛い。抱いてから、帰ってどうやって飼うかという話をし、Amazonやらで飼う準備を始め、翌週の土曜日にはもうお迎えしてた。可愛いっす。

 

2. 4月中旬の日曜日

 ビーグルを飼ってしまったとはいえ、4月半ばに僕らは結婚式を控えていた。幸い近所の大きな動物病院でパピーでも預かってくれるようで、その日は預けて京都へ行った。

 泊まった宿が随分良かった。京都は今ホテルが乱立しているらしい。数年後には1万部屋追加すると書かれた記事を見た。確かに5階建てくらいまでの低層ホテルが多く建っていた。僕らが泊まった部屋は地下にあった。京都は地下に古い文化遺産がたくさんあるので、むやみやたらに掘り始めると行政にストップされるから地下に掘り進めるのは難しいと聞く。でも、高く建てられないのであれば、下に向かうのは必然じゃないのかなーとか思った。難しいね。

 結婚式は疲れた。一言で疲れた。でもやってよかった。式に呼んだわけではないが、告知はしてえいたので来てくれた人が何人かいて、ああ、幸せだなぁと感じた。

 親戚一同に、とても良い友人と暮らしていることを示すことができてよかった。とても満足している。カメラマンに頼んだ写真が来るのが楽しみでならない。

 

3. GW

 本来であれば結婚式に来ていた友人たちと鎌倉へ二泊三日の旅行をする予定だった。しかし、前述の通り、ビーグルのパピーを飼ってしまった上、妻は通常営業とのことで僕一人で世話をしなくてはいけないのでキャンセルした。

 GWはだいたい犬と一緒にゴロゴロしていた。久々にアニメを2クール一日で見たり、朝から晩まで寝てみたりとかなり充実していたように思う。今年のGWは10連休とかいうおかしな長さだったけど、振り返ると一瞬で過ぎ去っていた。その間に犬は待てをおすわりを覚えたので、とても賢いのではないかと思う。

 

4. GW明け

 仕事が忙しかったのはGW明け公開のサイトを作っていたからで、GWにも少しだけ仕事をしていた。人間というのは締め切りギリギリまでやらないということを久々に思い知った。本当に怠惰な生き物である。エンジニアの美徳の一つだが、エンジニアに到達するまでの人間が怠惰である場合、ヒーコラいうのはエンジニアなので、他の人は美徳に勤勉を入れておいてほしい。

 そんなこんなで無事サイトも公開でき、今はようやくゆっくりとした平日を過ごしている。先週の木曜日は暇すぎて友人と一緒に仕事をサボって(裁量労働制なのでセーフ)バッティングセンターに行って銭湯に行って帰るということをした。僕の高校時代は非常に勤勉だったので、サボるなどという愚かなことはしなかったが、絵に描いたような怠惰な高校生を演じられて非常にストレス解消になった。

 

 仕事がやっと落ち着いたので、これからまた日記を書いていこうと思う。