マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

20190313

 顔は男女関係なく注目してしまうが、髪の毛は女性の場合、特に注視してしまう。ツヤだ。昔、高級ヘアケア商品を仕事で扱っていたことが理由としてあるのかもしれないが、髪がまとまっていて、艷やかな人は注視してしまう。並の努力じゃねぇ。

 髪がキレイな人はきっとナチュラルボーンではない。この四季とはいえど、冬はほどほどに寒く、夏は殺人的に暑い日本では内なる力から艶のある髪は難しいのではなかろうか。人工的な薬品を使わねば、あの艶は維持できまい。つまり、とても金がかかる。特に高級なやつ。めっちゃ効くやつ。

 したがって、髪に艶のあるご婦人は金を持っている。金を持っていない人は、髪に気を使うことなんてできない。現に僕は極貧生活を強いられているので、髪に気を使っていられる暇も髪もなくなってきた。悲しい。会社ではずっと帽子を被っている。そんなことはどうでもいい。彼女らは金銭的な余裕がある。

 金銭的な余裕があるならば、生活の余裕もある。以上からして、髪のツヤは心の余裕から生まれるものであることが判明した。つまり僕は金のある人に注視しているということか。悲しいね。

 

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こないだランチを上司と一緒に摂った。年齢の話になり、未来の話になった。

僕は意外と未来に対して期待しているんだなと気付いた。ただし、テクノロジーに限るが。ここ数年でPS4Nintendo Switchを買ったり、PSVRや新宿のVR ZONEなど最先端のゲーム分野のテクノロジーに触れる機会が多くあった。そこで毎回心躍らされる。新しい表現方法や知覚を与えられることの喜びを得ている。昔は50歳くらいで死んでもいいかなって思ったけど、少なくともシンギュラリティが起こると言われる2045年くらいまで生きたらもっと面白いゲームや体験できそうだなって。早くどこでもドアが出来て、空間と時間の制約がなくなればいいのにね。

 

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打ち合わせをしていて、嫌な大人っていると思う。何かを言ってるようで言ってないとか、議論を混ぜっ返すだけ混ぜっ返してケツを拭かないとか。そういう大人にはなりたくねぇという一心で、毎回こいつにはなりたくねぇって人の額にバーチャル焼印を押して反面教師にしている。

しかし、昨日の打ち合わせではそれになりかけていて、一瞬なったけど我に返って我慢して押し黙った。まだ留まることで自分の軸があることに喜びと、その嫌な大人に一歩半くらい踏み出してしまった悲しさが打ち合わせ終わりに襲いかかった。

打ち合わせの覚書

 

打ち合わせには少なくとも二種類はある。

- 発表

- ブレスト

おそらくは、この2つ。

 

発表は見たことのない資料を、見せられてプレゼンを行ってフィードバックを返すなり、許可を得るなりするための打ち合わせ。ほとんどの場合で発表側と聴衆側に分かれる。パワーバランスとしては聴衆側に上司や役員、クライアントが並ぶ。

もう一方のブレストは、既知の資料や設定を基づいて、新しいアイデアの発見や意識のすり合わせを複数人で行うこと。ほとんどの場合で、各関係者は横一列、対等の関係で行われる。

 

この2つの違いを気付かないと、プロジェクトの進行に細かい遅れが出て、結果企画フェーズで遅れがでがちである。ブレストの方が圧倒的にやる回数が多いのに、資料を事前に配らずに当日そのタイミングで初めて資料を共有することが多々あるからだ。初めてもらった資料に対して、数分で答えやアイデアを出すのは、ただの大喜利でしかない。根拠に乏しいアイデア・ただの思いつきである。

なので、若い人に対しては予めこの2つの違いを理解してもらって、どちらの打ち合わせなのかを判断し、準備をしてもらうことにしている。頼んだで。

何を相手に期待するかを自己責任としたい

 

 何故かこの時期に「期待」について考えることになってしまうようだ。まだ三年目ではあるけど、不思議だ。

 季節的なものなのだろうか。なんJ民の言う「なんか雨がよく降る時期ってあるよな」という世紀の発見と同じく、これも俺にとっては発見だがみんなにとっては既知の出来事なのかもしれないが。「なんか期待について考える時期ってあるよな」という宣言をここにしておきたい。

 

 今回なぜまた期待について考えたのかといえば、会田誠の講演会でこれは環境型セクハラどうのこうののニュースを見たから。

 あとズイショさんの記事を読んだ。

 本人はブコメで「ネタバレする義務が発生するのはつまらない」と仰っていて、まぁ分かるわと思った。なお本文は各種ちんこを叫ぶところしか読んでいない。アルマジロのちんこは尖ってると僕も思う。

 

 結局のところ、大学や会田誠に期待するところはなんなのさという話では無いだろうか。僕ならば会田誠の講演には、エログロの話と制作の交わりを聞きに行くところだと少なくとも思う。彼からそれを差っ引いたときに残るものが居酒屋でおっさんから聞く生徒に向けたハラスメントの話(あくまで想像です)くらいしか無さそうだし。

 この女性はおそらく会田誠ではなく大学側に期待をしたのだろう。大学の社会人講座だから全方向に考慮した何かを出してくれるだろうと。会田誠を知らずに。そこのギャップが大きかったが故に起こった事故だと思う。

 環境が何かを規定していると期待していた。現在の新宿で始まる物語は必ずバスタ新宿で出会いと別れが生まれるとか、渋谷から始まる物語は若者からスタートするだのそういうドラマツルギー的な因子がある。CLAMPのマンガだったら東京タワーが出てきてそこで始まり最終決戦が行われるよねと。もしもそこにギャップがあったら、物語として期待を超えることもある。が、逆に物語に破綻が生まれることもあり、それは内容次第ではある。

 場が物語を規定すると思いきや、その場の人が物語を規定したという、最初の期待とは違った。セクハラしてもいい場があるとは言わんけど、どこに力場が発生するかを見過ごしていた彼女にも落ち度はあるわけで、大学側が丸々背負い込む話では無くあってくれというか言論や表現の場として大学が存在してほしい。大学が会田誠を招聘するなってこともおかしな話だし。選ぶ側がちゃんと選び、その上で何かハラスメントやおかしいことがあったら大学ではなく、その講師を訴えるべきだと思うんだよなぁ。江頭2:50を社会人講座に呼んだらどうなるんだろう。

 

 期待のベクトルが違っていた場合に、大きく反対方向に振れることが多々あると思う。100の期待を裏切られたときに100*(-1)=-100という振れ幅。やはり相手に期待した方が悪いと僕は思う。人はそれでも期待をし続けてしまう。そしてまた、今回の件で、どこの力場が発生するのかを見誤ると期待は簡単に裏切ってくることも分かった。

 どこに期待をし、何に期待をし、自分に期待をして、何が返ってくるのかをコントロールしないと、自分を傷つけてしまう。

動機は自分から生えてくる

 

 昨日、友人からこの記事を受け取った。衝撃だった。はてブでは記事が出た当時800近いブクマを得ていたことを知る。ほんともうめちゃくちゃ長いのだが読んでほしい。

 

politas.jp

 この記事には沖縄の2018年選挙を通じて、沖縄県民のメンタリティ、そのせいで彼らが抱えている本当の問題、そしてそれが日本の縮図であり、世界から見た日本と全く同じ構図であるということが分かる、と書いてある。

 

 このうち、上からおよそ7分の2くらいの場所にある「自尊心」以下それから半分くらいまでが今自分が置かれている環境や考えていることとリンクしてズシッと重かった。

自尊心が低い人は、失敗(正確には、失敗そのものよりも、失敗によって人から軽蔑されるリスク)を恐れ、挑戦を避ける傾向がある。失敗を恐れる人は創造的であり得ない。自尊心の低い社会から、イノベーションは生じ得ない。

自尊心の低い人は、他人の出方によって自分の行動を決めるから、自分らしく生きることが難しい。挑戦を避けて成功を逃す一方で、人の成功を羨み、成功者の足を引っ張り、現状維持を好む。体面を保つためには不正をしやすく、他人への関心が低く、被害者意識が強く、暴力的で、幸福度が低い 。

 

 寝る前に、自分に自尊心が芽生えたのはいつだろうと考えた。

 10代、勉強しなくてもある程度できた時点で、自尊心に似たなにかは既にあったと思う。でもそれは決して自尊心ではなかった。おそらく無知から来る万能感だろう。案の定大学受験前期試験で落っこちて、旧帝大から後期で東京の国立に行くことになる。勉強を真面目にしてないから当たり前だ。お前はそこまで頭が良いわけじゃないし、容量もいいわけじゃない。

 20代、大学では勉強をしていた。単位を取るために勉強が必要な当たり前の学校で、周りと一緒に当たり前に勉強していた。外の大学と交流したのが今に役立っているが、時流という時代で濁った水の圧に負けて生きていたように思う。生きていたのか、やるべきことから目を伏せていたのかは知らない。大学卒業も自分が何者かは知らず、なんとなく気になったベンチャーに入り、なんとなくできそうだという社長のイメージから新規開発の部署に入った。10代の頃にあったはずの万能感は特になく、無我夢中で目の前の仕事をこなした。

 多分この辺からやっぱり自分がやりたかったこと、好きだったものを考え直すようになった。ちょうどこのブログを始めた2012年だったか13年だったかそのあたり。そして転職を決意、転職活動を始めた。2社を受け、両方受かった。

 

 おそらくここだ。ここで自尊心が芽生えた。あ、俺って認められるんや、って。

 

 自尊心が芽生えてからは何故かトントン拍子にうまくいった。周りには25歳で成功している人なんて腐るほどいるが、彼らと比べることがなくなった。自分だけを見て、自分を見られるようになると他人を、そして社会を見ることができるようになった。そして元カノと別れることになり、再度自尊心にほころびが見え始めるが、ちょうど私生活で遊んでくれる友人が仕事を通じてできたタイミングでもあり、なんとかなった。彼らは僕のありのままを受け入れてくれた。本当にそれが嬉しくあり、僕も彼らに対してなんとかしてあげたいと思うようになった。彼らには感謝してもしきれない。

 自分をはじめから認められる人はそうそういないのではないだろうか。順序として他人に認められて、それから自分を認められるようになる。まずはじめに親、親戚、友人、友人の親と徐々に輪を広げていく。が、僕の場合はおおよそそこで止まってしまった。そこから先社会へいくまでに相当な時間をかけてしまった。このおよそ20年は損失かもしれない。失われたの日本の20年はここにあったのか。

 

 そして今、結婚もしたり、したが、それよりも、その直前に仕事で2年ほどマーケティングブランディングに打ち込んだことが今の仕事のマインドに影響を与えている。ビジョン・ミッション・バリューの考え方だけでも大きく変わった。自分の人生にビジョンはあるのかと問いかけ、再定義した。

 自尊心が低い人は世の中にたくさんいる。それは悪い状態というわけではないが、仕事をやるうえでは、僕は一緒に仕事はしたくない。自分がなんのために仕事をしているのか、その会社に所属しているのかの理由がない人間は、生産性が低いからだ。組織の大小は関係なく、働きアリの法則のように必ずいる。

 人間はなにかしら理由付けしてあげないと、行動する動機が弱い生き物だ。マーケティングの教科書でもで書いてあることだ。僕も休みの日に何もなければ何もしないような人間だしよく分かる。仕事において動機は組織のマネージャーが与えるものではなく、自分から生えてくるものだ。しかし、マネージャーは他人を認めてあげることはできる。部下をコントロールするのではなく、認めてあげることがマネジメントなんじゃないだろうか。

 スタートアップで働いている人が精力的に見えるのは、なんのために仕事をしているのかが明確だから。自尊心があるのでリスクを取ることができるのだ。動機は自分から生えてくる。

くだらない嘘

 

 聞いた瞬間に真実か分からない嘘をつくやつがいた。もう10年以上前のことだ。そいつがつく嘘は「おばあちゃんが北海道出身(実際は石川)」とか「身長は181cm(実際は184cm)」とか「靴を去年買った(実際は半年前)」といった毒にも薬にもならない嘘。別に誰も傷つくことはない嘘。すぐに嘘だとバラす嘘。嘘をついた瞬間に嘘だと分かる顔をしてしまう嘘。

 僕もたまに対抗して分からない嘘をついたりした。割と難しい。嘘の内容は、時間を伸ばしたり血縮めたり、場所を移し替えたり、名前を替えたりといったパターンが多かった。なんのために付くんだろうと考えたが、結局分からなかった。分からなかったついでに「どうしてこんな嘘をつくんじゃい」と聞いてみたら、本人も明確な意図があるわけじゃないことも分かった。この返答が嘘だと思う方もいるかもしれないが、ここで嘘をつくのは真実かどうかなんて顔を見ればすぐ分かることなのでただの邪推だ。

 

 そいつとはもうずっと仲が良くて、大学時代の親友を一人挙げろと言われると、そいつが真っ先に挙がる。未だに年間数回は会って、ご飯を食べる。いつのまにか嘘をつかなくなっていた。それが寂しいかと言われると、そうでもない。というかつい最近までくだらない嘘をついていた事実をさっぱりと忘れていたくらいだから。

 そいつはくだらない嘘をつけなくなったんだと思う。僕らが仲が良くなったからでも、信頼しているからでもない。嘘をついても、顔に気づけなければ時間がかかるかもしれない。あの頃は毎日会って、毎日部屋に入り浸っていたから気づけた機微があった。そう思うと、ただただもったいない。僕らは実家の母親と父親にあと何時間一緒にいられるのか。それを計算したことはあるだろうか。もう約一ヶ月しかいられない。それと同じことが、僕とそいつの間でも起こっている。両親よりももっと短いだろう。そう考えると、嘘よりももっと知ってほしいことがたくさんあるだろう。10年以上前、最も長く一緒に過ごした時間でしかつけないくだらない嘘だった。

 

 僕は昨年末に結婚したが、図らずもそいつも昨年末に結婚した。僕の二日前だ。そいつは新たにできた家族に対して、ずっと一緒にいる家族にたいしてくだらない嘘をついていると、僕は確信している。