マレーグマの頭のなか

文章を 書くだけなら タダ

最近感じた “言葉” 関係のこと

 

普段は一緒に仕事をすることは絶対にない同僚と、こないだランチを食べたときに気づいた。

汚い言葉を使われると、自分の中の語彙センサーが反応し「あっ、こいつヤベーやつだ」と判断してしまうことに。つまり自分も周りからそう思われている可能性が高い。特に初対面の場合、そう思われる確率は「コーラを飲んだらゲップが出る」くらい高い。ああ、また汚い言葉を使ってしまったようだ。

なるべく自分の口から出る言葉を、浄化フィルターを通した言葉にしたいのだが、文字ベースでない場合は推敲する時間が0秒に限りなく近いためになかなか難しいので、少なくともメールやツイートなどではキレイに浄化した言葉遣いでやっていきたい。

 

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“サービスデザイン” の説明をするときに “サービス”と“デザイン” の言葉を極力使わないというようなある種の優しさがないといけない。言葉の定義が互いに食い違う場合、必ず僕とあなたが今見ているもの以外の場所から言葉を取ってこなければならない。時間的にも空間的にも制約を無視して、言葉をあらゆるところから引っ張って相手に伝える義務がある。それは僕ら人間が言葉を発して、コミュニケーションを取れるようになった、我々が猿の時代からの課せられた義務だ。

 

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「高度デザイン人材」を育てることを経済産業省が推進している。

そのようだが、例えば「高度」がいるなら「低度」がいるのか、私は「低度」なのか、「低度」ではいけないのかなどの他人との比較でできあがる言葉は気をつけなければいけない。

 

そういえば、過去に似たような問題を話し合った経験がある。

「異性・同性愛」を表す言葉を使用するときに何を使用するのかというお話だ。

「normal」は正常ではないことが異常なのかを暗に示し、「Straight」はTwistedであることが、人を愛すことは誰しもが真っ直ぐではないのかなど、そういう意味を示す、暗に示してしまう。

それらを比較なき言葉として、おそらく誤解なく使えるのはheterosexualとbisexualとかだと思うが、単語としての成り立ちが自立しているかどうかは意識しないとあらぬ誤解を生んでしまうことがある。

 

僕も気をつけなければと日々思っている。

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年末のこと

 

最近書くことがないなぁと思ったので、報告を書きます。

12月を人生の転換期とするべく、イベントてんこ盛りにしてきました。

 

1. 転職しました

 苦しい思いをした4年半前、あーもう前回転職してそんなに経ったのか。その当時のブログを読み返すと「役割は捨て、一人前になるための次の場所を選んだ」と書いてあって、30歳になった僕から彼へ言いたいことは「その通りだったよ」である。

 一人前になった僕は新しい会社でバリバリと働いている。給料もグンと上がって、あのとき捨てた役割をもう一度背負って仕事をしている。役割を背負うことは重圧に感じるかもしれないが、意外と軽い。それは前職でやってきたことが、とても重かったからだ。ドラゴンボールのピッコロが重い道着を外すように、今の会社では身体が軽く動く。その後フリーザにやられてしまうが、そういうイベントだってあってもいいだろう。オラよりつええやつに会いてぇと言う悟空の気持ちも分かってきた。

 

 頑張ります。

 

2. 引っ越しました

 渋谷へも新宿へも自転車で15分程度の距離の、非常に高条件の立地に住んでいたのですが、引っ越しました。

 前に住んでいた場所の大家さんは、僕の母親の小さい頃の近所に住んでいたお姉さんで、母と仲が良く東京に嫁いでからもずーっと連絡を取り、すでに半世紀近く親戚付き合いのような形をしていた。僕が生まれたときは、兄と姉を預けていたらしい。僕が大学に入ったときにも、当たり前のようにお祝いをいただいた。お互いにそういう付き合いをしていたそうだ。僕から報いるには「善良な住人として部屋に住み、毎月欠かさず家賃を払い続けること」だと思ったので、3年間ほど住まわせてもらった。持つべきものは「東京都心に土地を持つ友人」なのだと実感した。資本主義社会の荒波に乗るのは難しい。

 新しく住み始めた場所は、僕が大学に通うためにはじめに引っ越してきた調布市だ。前の家よりもずっと広く、やっと家具家電が揃ってきて毎日暮らすのが楽しい。お金はものすごい額がぶっ飛んだけど、それも仕方ないと諦めて、日に日に変わっていく家を楽しんでいる。ダイニングテーブルとソファと冷蔵庫が来たら、当分何も買わないぞ。

 

 頑張りました。

 

3. 結婚しました

 引っ越しは、同棲するためでした。およそ2年ほど付き合って、婚姻届を出しました。

 前の彼女は9年付き合っても、結婚したくても、しなかったのに、サクッと決めることができたのは不思議だった。なんというか、タイミングと時の運が完全に合致した印象。イマイチ信用しきれなかった部分も、今の妻にはなく、平然と生きていける気がした。まぁ、世の中そんなもんだという話をそこかしこから聞くので、今の楽しい時間を過ごしていきたい。

 

 頑張ります。

20190109

 

新しい年はなかなかにタイミングが悪い気がする。

 

年末にかけてではあるが12月30日にインフルエンザに罹ってしまい、三が日に予定していた妻と兄夫婦の顔合わせがなくなった。まず一日目からタイミング悪く体調不良になってしまった。とはいえ、実家に到着する前に病名が判明してよかったし、結果的に兄夫婦に偶然出会って挨拶もできたしまぁセーフだ。

 

昨年末に転職をしたのだが、転職先で健康診断を受ける必要があった。しかし、前職での健康診断を12月2日に行ったばかりで、結果を待つだけだった。健康診断の日にちまでに結果を送付すれば受ける必要もなかったのだが、年末年始を挟んだことで結果が出るのが遅くなった。さらに元々予定していた健康診断のタイミングに大事なミーティングが入った。これには頭を抱えてしまい、仕方なく健康診断の日時を翌日に変えた。変えた数時間後に前職の総務の方から連絡が来た。健康診断の結果が届いたよ、と。しょうがないと健康診断を翌日に受けた。受けた数時間後に大事なミーティングすらなくなってしまった。なんなんだこれは。全てがアンラッキーな方向に転がり続けている。とはいえ、そのおかげでミーティングまでの時間ができたのでしっかりした準備ができる。まぁセーフだ。

 

といった感じでいろいろとスカされているので、流れに乗れるように、そして周りを巻き込んでいけるようにやっていければな。

ゆっくり運転する

 

 イラッとすることに理由は必要なくて、イラッとさせないことには何かしらの理由が大きく関与する。

 理由が必要ないというよりも、自分と違うことが見えてしまえばそれはストレスの要因になる。同質であればイラッとすることはない。自分に対してイライラしていては生きていけないからだ。無意識下でコイツとは何かが違うなと思うだけでそれはストレスになるので、テキストにしたためるような理由は必要ない。

 高齢運転者標識こと枯れ葉マークの意味は「加齢に伴ってブレーキ踏むの遅れたりして危ないよ」以上のことは示していない。つまり、若い家族のバンによく貼ってある「赤ちゃんが乗ってます」マークとなんら変わりがない。それを国でやっているだけのことだ。どちらのマークもマイペースに運転しますという意思表示を行っているが、威力を示しているわけではない。追突した場合、より重い罰が生じますよというような。

 マイペースに運転すると、おおよそ速度表示灯通りの制限速度以内で走ることになる。すると、速度表示+30km以内くらいで走っている人(やめようね)にとっては、ただただ前に進むのが遅い車である。その後ろをついていかざるを得ない状況になると、それはその人にとってストレスになる。そこで前述のマークが免罪符となる。年寄りだから勘弁してな、赤ちゃん乗ってるから振動起きんように運転するわ。そうマークを物語らせている。相手と自分は違っているから、多少差が見えていても仕方ないなで済ませる余裕が生まれる。煽り運転するような輩にはそれが生まれないのだろうが、それはまた別のお話。ストレスの原因に対しては分かりやすい理由がなければ、自分を納得させることができない。無意識下で行われている選別をさせる前に、自ら主張し意識下へ引きずり込んで自分の土俵で相撲を取る。それがマークの役目である。

 と、ゆっくりと運転する父親を見て、早く枯れ葉マークつけないと因縁つけられるよと忠告した三が日だった。

今日学んだ言葉「レバレッジ」

 

 よく分からない文脈で「レバレッジを効かせて~」と書かれている文章をTwitterのタイムライン上でよく見ていた。例えば「事業会社は受託業務をメインやっている会社より儲かるけど、なんで?」「レバレッジが効くからだよ」というような会話。この場合の原資ってなんだろうとか、レバレッジって “効く” ものなんだとか疑問が出ていた。

 

 まずはレバレッジという言葉を見てみる。FXだと、原資100円をレバレッジ100倍に効かせて1万円で運用して、その原資からの差額で儲けたりするのは知ってる。この「レバレッジ」っていうのは、元々は金融とか経済あたりを元にしていて、Wikipediaによると「経済活動において、他人資本を使うことで自己資本に対する利益率を高めること、または、その高まる倍率」と書いてある。そして原義は「てこの作用」のこと。

 このあたりで “効く” という使い方は「作用する」に当てはまることが分かった。なるほどね、小さな物で大きな物を動かせるよと。確かにレバレッジが効いた方が儲かりそうだ。100円を何倍で掛けられるか、10倍か10000倍かによってリターンが大きく変わりそうだ。

 

 レバレッジの言葉は分かった。が、まだ当初の文章を読み解くには足りない。事業会社と受託業務の話を紐解いてみる。

 受託業務だと請け負える規模に限界がある。50人いても50人分の労働力の分でしかお金を稼ぐことができない。この場合、稼げるお金を増やすには、人を増やすか、労働時間を増やすか、労働効率を上げるかの三つくらいしか選択肢がない。つまりは見込み売上の天井が見えてしまう。見えやすいことは良いことだが、跳ね上がって儲かる可能性は低い。同じ50人の社員数でも受託業務では一人あたりの売上が200万円/月くらいでも、事業会社では一人あたり1億円/月になることもあるそうな。

 他にも在庫を持ってるお店も在庫が全て捌けた場合の売上の上限というのが見えるし、どれだけ人員が働けばどれだけの売上がありそうかの限界が見える。レストランもそうだし、カラオケボックスもそうだろう。大概のサービス業はそう。しかし、事業会社のように仕組みを作ればサーバを除く資源が減らない、在庫がない場合は大きく変わる。仕組みを一旦作って回せばお金が入ってくるような事業の場合は、一人が働いた分よりも多くのリターンがある可能性がある。もちろんゼロや倒産の可能性もあるが。一人分の労力で複数の効果があったり、複数人に効果があったりする。小さな労力で大きなリターンだ。

 デザイナーがもてはやされているのも、おそらく仕組みに対してレバレッジが効きやすいからだろう。ボタンの改修という小さな労力でクリック率が30%上がれば売上も3割増と考えれば末恐ろしい。

 

 たらたらと書いてきたが、要は最初の人が言いたいことは「一人あたりの労働・労力に対しての売上の幅が大きい」ことが言いたいっぽい。

 まぁそんな風に、原資である人的資源をその時間分だけではなく、人にシステムやサービスを加えることでレバレッジを効かせて一人あたりの売上を跳ね上げることができるみたい。「少しの力でたくさんの効果を得る」という意味をレバレッジと呼んでいる。ふーん、みんなそういう使い方をしてたんだねぇ。